2010年3月29日月曜日

Day59 チチェン・イツァ

カンクンからバスに揺られること3時間、マヤ文明の遺跡、チチェン・イツァに行って来ました。
マヤ文明にもその他のメソアメリカ文明にあるようにピラミッドが存在しています。


写真のピラミッドはククルカン(ケツァルコアルトルのマヤ語表記)のピラミッド、通称カスティーヨです。
カスティーヨは天文学の技術を駆使して建造されたピラミッドで、カレンダーや時計の機能を持っています。またその精巧さはスイス時計の機械仕掛けにも引けをとらないほどのものだそうです。
有名な話では、このピラミッドの北側にある階段の地上に面している段に蛇の頭(ククルカンの化身)のモチーフがあしらわれているのですが、毎年2回、春分の日と秋分の日にだけ真西から照らされた太陽光によって影が出来、この蛇の頭に胴体が現れるように計算されているのです。影の出現は一分の狂いもなく精密に計算されていて、毎年、春分の日と秋分の日だけしか、この現象を見ることができないそうです。

残念ながら今年の春分の日は1週間前でした。


上の写真は戦士の神殿と呼ばれるところで、ここは生贄信仰の舞台になったところです。
現代のサッカーのような球技をし、勝ったチーム(あるいは負けたチームとも言われている)のキャプテンが生贄にささげられていたそうです。生贄の方法は非常に残酷(だと現代的感覚では思う)で生贄の両手両足を押さえつけ、執刀係の神官が黒曜石のナイフを持って、生贄の左あばら骨の隙間を切り開きます。もちろん生きたままです。開き口から手を入れて心臓を鷲づかみにして、ちぎり出し、写真の中央にある、横たわった人(名前は忘れましたが何かの神)のお腹の上にある皿に載せ、神々に奉げていたそうです。後期マヤ文明では(アステカでも)このような生贄が毎日のように行われ、生贄を確保するために、戦争を行うこともあったそうです。
伝承に残っているなかで最も大規模な生贄の儀式では数百という生贄が一度に奉げられ、ピラミッドが流れ落ちた人間の血で真っ赤になったこともあったそうです。
それもこれも2012年12月23日に消滅してしまうと言い伝えられてる第5の太陽の寿命を延ばすための神頼みだったそうです。

僕は現代の日本に生まれて、本当に良かったなと思いました。

マヤ文明を始めとするメソアメリカ文明の興味深いところは、文明の後退が見られる点です。
現代科学にも引けを取らないほどの高度な天文学を有していた文明が謎の消滅を遂げ、再び復活するということがいくつかあるのですが、復活後の文明はあきらかに前の文明が有していたほどの科学技術を持たず、未開の生活を営んでいたり、前述した血の生贄の儀に取り憑かれてしまっていたりします。

中央アメリカには不思議な歴史が残っています。
もう一度、中学生からやり直せるなら、考古学者になってみたいようなみたくないような、不思議な気持ちにさせられました。

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