2010年2月2日火曜日

Day5 アンコール・ワットへの道は思ったより遠い

香港で結構疲れが溜まったので、今朝はホテルのテラスで朝食を食べながらのんびり過ごしました。
主にインターネットをしていました。Googleニュースをチェックしたり、ブログを更新したり、いろいろやることがあります。

午後からレンタサイクルで観光に出かけました。
昨日、ホテルに到着したときに、受付をしてくれたスタッフが、シェムリアップではどんな予定で過ごすの?と聞くので、実は特に考えてないんだ。と言うと、そいつは普通じゃない、一緒に考えてあげるよ。と言って、どこに行かないといけないとか、どんな方法でどれくらいかかるかといったことを細かく教えてくれました。
今日は彼に言われたとおりに自転車を借りて、アンコール・ワット、アンコール・トム、タ・プロームの順に回ることにしました。

11時過ぎにホテルを出発して、国道6号線に出ると、いきなり、右に行けばいいのか、左に行けばいいのかわからなくなりました。ガイドブックの地図と時計に付いているコンパスを見ればすぐにわかるのですが、いちいちリュックの中からガイドブックを取り出すのが面倒だったので、道端でパンを売っているおばさんに聞いてみました。とりあえず左に行けばいいと言うので、そのまま国道を進んでいたのですが、行けども行けども寺院らしきものがありません。不安になってきたところで、また道端で果物を売っているおじさんに道を尋ねると、だいぶ戻らないといけないよと言われました。どうも一本目の交差点を左折だったみたいです。

がんばって自転車を漕いで、汗だくになりながら、なんとかその交差点まで行きます。今度は間違えるまいと思って、交差点にいた警察官に道を尋ねると、ここで正解のようでした。

あまりにも行き当たりばったりの行動に呆れてしまいました。

チケットブースでアンコール遺跡3日券を40USDで購入して、最初の目的地、アンコール・ワットへ行きました。
物売りを払いながら、自転車を停め、いよいよアンコール・ワットへ入ります。
アンコール・ワットは12世紀半ばジャヤヴァルマン2世(とその大工さん達)によってに作られたクメール王朝の寺院で、たった150年ほど前にフランス人考古学者によって発見されたそうです。
そう考えると、アトランティスやムー大陸の話もまんざら嘘ではないのかもしれません。


かなり広い寺院で、日本で言うと、伊勢神宮なみの規模ではないかと思います。
壁画や彫刻がいたるところにちりばめられていて、ちゃんと見ようと思えば一日中いてもまったく足りないんじゃないでしょうか。でもヒンドゥー教のストーリーはほとんど知らないので、適当に写真とりながら、とりあえず一週して出てきました。

遺跡の写真をどう撮ればいいのか、どんな構図で撮ると格好いい写真になるかがわからなかったので、とにかく沢山撮りました。

写真はWebアルバムに保存してあるので、よかったら見てください。
◆スライドショー シェムリアップ1日目
http://picasaweb.google.com/satoshimaejima/SiemReap20101#slideshow/

続いて、アンコール・トムに行きます。
アンコール・ワットから北上すること、約20分、林を抜けた先にアンコール・トムの南大門が見えてきます。
アンコール・トムは、アンコールの大きな町という意味で、日本で言うところの平城京のようなところだそうです。アンコール・トムは12世紀末にジャヤヴァルマン7世によって作られた城都です。アンコール・ワットはヒンドゥー教なのに対し、アンコール・トム内の中心を成している寺院、バイヨンは大乗仏教の寺院です。トム内にある他の寺院は仏教のものもあれば、ヒンドゥー教のものもあります。
もともとヒンドゥー教の前身的な宗教であった、バラモン教を否定する形で仏教が生まれた(と思う)はずなので、この辺りの関係がよくわからないところです。知らないことはしっかりと勉強しないといけません。


バイヨンに付いたところで、腹が減ったので、寺院の向かいにあるみやげ物屋に併設しているオープンエアレストラン(屋台)に入りました。食中毒などは心配でしたが、空腹には変えられず、ええい食べてしまえ、と思って、そこで野菜ヌードルを食べました。空腹に効いたのか、かなり美味しかったです。

お店の女の子がとても親切で、かわいらしく、いろいろ質問をしてきてくれるので、その子といろいろ話しながら、食事をしました。15歳から25歳くらい(年齢は本当に不詳です)の子で、一人で旅行している日本人はほとんど見たことがないと言って、面白がって旅行の話を聞いてくれました。
僕と彼女、どちらが人生を一生懸命生きているかわからないのに、僕と彼女の間には絶対的な格差があって、僕はそのことで少し申し訳ない気持ちになりました。

食事をしていると4、5才くらいの小さな男の子が、ポストカードを持って、もう少し年上の女の子が扇子とか、笛とかそういった民芸品を持って売りに来ました。
どちらもいらなかったので、ありがとう、でもいらないんだと言って断ると、女の子はがっかりした様子で離れていき、男の子は僕のテーブルの前の席に座り、僕と会話をしていた女の子の方を見上げていました。


どうやら家族でそこの土産物屋兼食堂をやっているみたいです。(他の寺院の前にも同じようなスタイルの土産物屋兼食堂があって、やはり家族で経営しているみたいでした)
女の子に、家族なの?と聞くと、弟だよと言うので、何も買ってあげなくてごめんねと言うと、それはいいのよ、と言ってくれました。
男の子に写真をとってもいいかな?と聞くと、照れくさそうに笑って、Yesと言います。カメラを向けると持っていたポストカードで顔を隠した後、頭の上にポストカードを乗せて、笑ってくれました。カンボジアの子供は本当に純粋です。

バイヨンは日本で言うところの須弥山で、古代インドの神々が住む神聖なところだそうです。
アンコール・ワットよりも朽ちていて、ところどころに修復中のため立ち入り禁止の表示が出ていました。
バイヨンの中心に向かって十字の回廊があり、そこを進んでいくと、現地の人が数人、僧侶の唱えるお経の前で合唱をしていました。白人の観光客が遠巻きに見ている中、少しだけ中に進むと、お祈りしていた人が、中に座りなさいと手招きするので、なんとなく断りづらく、空いているスペースに膝を着き、周りと同じように合唱をしました。
2メートル半四方くらいの狭い空間で、僧侶と僕を含めて8人くらいがそこにいました。僧侶の唱えるお経はカンボジアの言葉か梵語だったので、まったく何のことだかわからなかったのですが、ぱちぱちという線香と蝋燭の音と混ざって、妙に神聖な感じを受けました。区切りがついたところで、立ち上がり、手を合わせてお辞儀をして、その場を去りました。

バイヨンを見学し終わった後は、トムないの他の遺跡、像のテラスとか死者の門なんかを適当に見て、次の目的地のタ・プロームに向かいました。

最初に道を間違えたこともあって、この時点でかなり疲れていましたが、いまさら引き返せないので、がんばって自転車を漕ぎました。



タ・プロームはバイヨンよりもさらに劣化の激しい遺跡で、崩れた石材の山がいたるところにあります。さらに、木が遺跡を捕り込むように育ち、人工物と自然の妙な調和が神聖さを倍増させているように思えます。日本で言うところのワンピースの空島の世界です。

タ・プロームの前の土産物屋でコーラを買って、エネルギーを補給したら、あとはホテルに向けて帰るだけです。が、すでにかなり疲れていたことと、ここからホテルまでが一番遠いこともあって、帰り道は泣きそうになりながら、自転車を漕ぎ続けました。
自転車を漕いでいるうちに日も暮れ、暗くなった道を一人もくもくと進みました。

結局この日は、道を間違えたこともあって、少なくても60キロは走り巻いた。自転車のサドルがかなりボロかったため、お尻をかなり痛めました。

明日はトゥクトゥクをチャーターして、のんびり快適な旅行をしようと思います。

それでも今日はいろいろ貴重な体験ができた、いい一日でした。

0 件のコメント:

コメントを投稿