今日は午後からフェリーに乗ってアルカトラズ島へ行きました。
ショーン・コネリーとニコラス・ケイジが出演している有名な映画「The Rock」の影響もあって、この島はサンフランシスコ観光には欠かせない目玉になっています。
フェリーのチケットも2日後のチケットしか買えないほどの混雑様で、僕は一昨日のウォーキングツアーの後に今日の14:50発のチケットを買いました。
アルカトラズ島はサンフランシスコからわずか2.4Kmの距離に位置する孤島です。アルカトラズ島は1847年までまったくの未開の島で、この島を訪れていたのは、オーローン族やミウォック族などの先住民だけでした。
その後、ゴールドラッシュによってサンフランシスコの人口が一気に増え、都市化が進むと、アルカトラズに砦が建設され、街の防衛拠点として重要な役割を担うようになります。1861年に南北戦争が起こると、アルカトラズには当時の最新の武器や砲台が調えられ、常時400人以上の兵士が常駐していました。戦争が終わると、アルカトラズの砦としての役割はなくなり、今度は刑務所として利用されるようになります。
1907年に要塞としての役割を解かれる以前からもアルカトラズには犯罪兵や国事犯の罪に問われた市民、南軍の兵士などが連行され、収容されていました。アルカトラズに収容されていた悪名高く有名な囚人には”スカーフェイス”アル・カポネや”バードマン”ロバート・ストラウドなどがいました。他の刑務所では受け入れられないような、脱走の危険がある囚人や他の囚人といざこざを起こす可能性の高い囚人など、アルカトラズにはより凶悪な犯罪者が集まるようになっていきました。
アルカトラズで企てられた脱走数は14件なのですが、この中で最も有名なのはフランク・モリスとジョン・アングリン、クラーレンス・アングリン兄弟の一件です。偽者の顔を作り、ベッドの中に変わり身を忍ばせ、13本のスプーンを使って、独房の壁に穴を開け、通気ダクトを抜けて海へと逃れました。3人の遺体は海から上がっておらず、行方はわからず終いになっているそうです。「アルカトラズからの脱獄」という映画にもなっていて、帰ったら見てみようと思います。
他にも脱獄をしようとして失敗し、看守8人を人質にとって2日間の篭城をし、最終的に軍によって殲滅させられた事件などもありました。
映画や小説からアルカトラズは厳しい刑務所としてのイメージが定着していますが、実際には刑務所内は清掃が行き届いていて、さらに食事も良かったと言われています。
そんなアルカトラズ刑務所も維持費と運営費の膨張のため、1963年に当時の司法長官ローバート・F・ケネディによって閉鎖され、その後はインディアン達に選挙されたり、宇宙開発をテーマにした遊園地にされそうになりながらも、1972年に国立公園として指定され、現在の観光地となりました。
というようなことが、より詳しく、物語風にまとめられているオーディオガイド(日本語もある)を無料で貸してくれ、オーディオガイドの案内に従って、刑務所内や島内を見学することが出来ます。ちょっとした冒険気分を味わうことが出来て、かなり楽しかったです。
オーディオガイドの中で「この狭い牢屋に入っていると、だんだん牢屋が自分の家になり、さらにしばらくすると自分そのものになんだ。」という一節があったのですが、これはなかなか意味深なセリフです。
学生のときに勉強していた言語学者の有名な言葉に「言葉の牢獄から抜け出すことは出来ない」というようなものがありました。全ての人間の活動は言葉と言葉の間に生まれる相対的な意味世界の中でのみ成立していて、言葉で表現できる以上のことを表現したり、考えたり、行ったりすることは出来ないといったような意味(だったと思う)なのですが、当時なるほどなと思ったことをアルカトラズの牢獄を見て、思い出しました。
日本という文化体系、言語体系の中で生活していると、いつの間にか日本的感覚が自分のホーム感覚になり、終いには日本的感覚が自分そのものになって、なんでもかんでも、その中で判断するようになります。それは見方によっては狭い価値観といったネガティブな見方にもなってしまうのですが、日本的感覚だけでも充分な量と質があると思いますし、他の言語体系がどうしても必要なわけでもないので、良いとか悪いという問題ではないです。日本で暮らすには日本語を話し、日本の文化体系の中に身を置かないといけないのですから。
ただ、たまにこうして旅行をしたり、外国の考え方や価値の体系、言語体系に触れることで、より自由に近づけるような気がするんです。
旅行とは普段、無意識のうちに閉じ込められている言葉の牢獄からの一時的な脱獄なのかも知れません。
↑ってちょっと格好良くないですか?笑
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