2010年4月9日金曜日

Day70 ゴールドラッシュ

ホステルで同室になったイタリア人と一緒に朝食を食べながら、今日はお互いにどんな予定で過ごすかという話をしました。ドミトリーに泊まっている単身旅行者達はとりあえず「一緒に朝食を食べに行こう。」と言って、その後、「今日はどんな予定か」ということを尋ねるのがパターンになっているようです。泊まっているホステル主催の無料のウォーキングツアーが11時からあるということで、とりあえずそのツアーに申し込んで、11時まではネットなどをしながらだらだら過ごしました。

11時にレセプションに行くと、僕らの他にすでに2人の参加者が待っていました。
ウェールズ出身のヒューという男とヘレンというイングランドの出身の女性、それに僕と同室のロベルトというイタリア人の男で、参加者は全員で4名でした。
ガイドをしてくれたのはアイルランド出身のケイトという女性でした。ケイトもどうやら同じホステルの宿泊者のようですが、彼女は世界中を旅行していて、サンフランシスコにやってきた時に「something special」を感じたそうで、もう2年もこの街に留まっているそうです。毎週水曜日にガイドツアーをして、ホステルの宿泊費をいくらかまけてもらったり、ツアー客からの寄付を貰っているそうです。他にもなにか良くわからないけど仕事をしているそうです。無料ツアーとは言ってもチップの国アメリカなので、最後にはみんな10ドルずつケイトに渡していました。でも彼女のツアーは10ドル以上の価値があったと思います。


まずサンフランシスコの町が見渡せる高台にある有名なホテル(名前は忘れた)の最上階に連れて行ってくれ、街を見渡しながら、サンフランシスコの歴史について説明してくれました。彼女の説明によるとサンフランシスコにおける歴史的に重要な事件は2つだそうです。一つ目は1849年から始まったゴールドラッシュでもう一つは1906年に起きたサンフランシスコ大地震だそうです。ゴールドラッシュによって一気に人口が増え、全米から金を求めて多くの有力者が集まり、この地に富が築かれていったそうです。その後、大陸横断鉄道が整備され、さらに大都市へと発展し、中国人や日本人などのアジア人を含む移民も一気に増えたのですが、1906年に大地震とその後3日続く大火災が起こり、それまでに築かれた街はほとんど倒壊したそうです。ケイトが言うには、その後、フリーメイソンの活躍により、サンフランシスコは急速な復興を果たしたそうです。フリーメイソン!マジすか?って思いましたが、いずれにしてもサンフランシスコは復興のシンボルにフェニックスを掲げ、まさに不死鳥のように蘇り、アメリカ有数の大都市に発展ました。

大西洋に向け開かれた港町であるニューヨークと、太平洋に向けて開かれた港町であるサンフランシスコ。この二つの大洋に向け開かれた地理的利点がアメリカの20世紀後半から現在にかけての絶対的強さの理由だそうです。


その後、サンフランシスコ名物のケーブルカーミュージアムや60年代のヒッピー文化の発祥のエリアを訪れ、有名なカフェ(名前は忘れた)で昼食をとり、コイトタワーがある高台まで歩いて、そこから東側の海岸まで降りて、約3時間のウォーキングツアーは終わりです。ケイトはホステルに帰ってしまったのですが、僕達4人はそのまま観光を続けることになりました。



フィッシャーマンズウォーフで自転車を借りて、ゴールデンゲートブリッジを渡ることにしました。

ところで、日本でも日本海側のいくつかの弱小県において、フィッシャーマンズウォーフなる施設が整備されたり、また時々、観光客誘致政策や地域振興策としてフィッシャーマンズウォーフを造るといった話がいろいろな地域で持ち上がることがありますが、個人的には日本におけるフィッシャーマンズウォーフ建設計画は「これだけは絶対にやってはいけない愚策」の中でもかなり高順位に位置すると考えています。「なんでもかんでも横文字にすればいいってもんじゃなんだぜ。」って言ってやりたいです。例えば若狭フィッシャーマンズワーフという施設がありますが、これは完全にギャグとしか思えません。どうみても古き良き日本の漁村なので、そのままの良さを尊重すればいいものを、おそらくこの地方の有力者にサンフランシスコ贔屓の人間がいたのでしょうか、ただの鮮魚センターをフィッシャーマンズワーフと名づけ、更にOBAMAまんじゅうなるお菓子を名物にしようとしています。この地域ぐるみのギャグには脱帽せざるを得ません。


でもそんな田舎者が憧れを抱いてしまうようなすばらしい魅力がサンフランシスコにはあるのです。
サンフランシスコのフィッシャーマンズウォーフの近くには表参道並みの高級ブランドショップがあり、横浜の赤煉瓦倉庫から山下公園に続くような素敵な公園があって、さらに田園調布にでもありそうな高級住宅街があって、リッチな人々が洋服を着たチワワを連れて優雅に歩き、お台場にあるビーチの5倍はある広々としたビーチもあって、ウィンドサーフィンを楽む人がいたり、カヌーを漕ぐ人もいます。。漁船が係留されている桟橋の次の桟橋はヨットハーバーになっていて、湾内のアルカトラズ島の近くには優雅にもヨットが漂っています。そして遠くにはサンフランシスコで最も有名な建造物である赤い橋、ゴールデンゲートブリッジが掛かっています。
そして何より、サンフランシスコの街の雰囲気がいいです。なんていうか、のびのびとしていて、それでいて優雅でお洒落です。今日は水曜日だったのですが、毎日、日曜日が続いているみたいな雰囲気です。


フィッシャーマンズウォーフを出発して、ゴールデンゲートブリッジを往復し、橋の近くで早めの夕食を食べ、19:30頃に沈む夕日を見ました。ゴールデンゲートブリッジ越しに太平洋に沈む夕日はとても綺麗でした。とても綺麗としか言えません。
サハラ砂漠に沈む夕日も素晴らしいものでしたが、ゴールデンブリッジ越しに眺める夕日も素晴らしいものでした。


サンフランシスコ、今まで完全にノーマークでしたが、かなり良い所みたいです。

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