2010年4月19日月曜日
Day80 わざわざ集まってくれて本当にありがとう。わざわざ集まってくれて
終に旅行が終わりました。
予定より少し早く、成田空港に13:50に到着しました。
空港まで迎えに来てくれた友人と合流して、まずは旅の疲れを流すために平和島にあるスーパー銭湯よりも一つ上のクラスのハイパー銭湯というところへ風呂に入りに行くことにしました。途中、立ち寄ったサービスエリアで天ぷら蕎麦を食べたのですが、染み入るような美味さでした。とりあえず今週は思う存分好きなものを食べてやろうと思いました。今、食べたいものは、吉野家の牛丼、寿司、ぺヤングソースやきそば、炭火焼さわやかのステーキ、鰻、ラーメンです。とりあえず明日は「SAVE THE 吉野家」キャンペーンで、吉野家の牛丼を食べに行こうと思います。
17:30頃まで風呂に入って、その後友人の家に車を置きに行き、そこから電車に乗って、僕と僕らの思い出の街、池袋へ向かいました。
今日は嬉しいことに、僕の大学時代の友人達が、なんと10人も!集まって僕の帰国パーティーを開いてくれました。
声を掛けてくれたのは、僕の旅行のベストパートナーの男でした。正直、彼にこんなに集客力があると思っていなかったので、びっくりでした。ありがとう。
僕としては、せっかくなので、旅行の話を皆にしたかったのですが、友人の中に一人、偏狭な性格の男がいて、そいつが「あいつに旅行の話を聞くと、調子にのってしまうから、みんななるべく聞かないでやってくれ」と言い出し、せっかくの帰国パーティーだったのに、大して旅行の話もせずに終わってしまいました。
それでも旧友と久しぶりに会うというのは、楽しいもので、あっという間に時間が過ぎてしまいました。まぁ最後の方は僕は時差ぼけで正直眠たくて仕方がなかったのですが…。
旧友というのは不思議なもので、何年経ってもみんな揃いも揃って相変わらずです。あいつら成長ってもんをしないんだなぁって思いました。
今日、寝る前に思い返したことがあって、それは、この80日間の旅行で何か得たものはあったんだろうか、ということです。80日間何一つ生産的なこともせず、毎日遊んで暮らしていたので、ミツバチのように真面目な僕としては、やっぱり世間様に申し訳ないような感覚と、周囲から置いてかれてしまっているんじゃないかっていうような不安感が入り混じったなんともいえない感覚を旅行中、何度も感じることがありました。こういう感覚って日本人的な感覚だなって思うんですが…。
80日間も旅行して何一つ得られるものがなかったでは、ちょっと情けないなって思っていたのですが、僕が世界一周旅行したことで旧友が集まる機会が生まれたので、それだけでも僕が旅行したことに意味があったんだなって嬉しく思いました。
とにかく、久しぶりに集まった旧友との食事は最高に楽しかったってことです。
集まってくれた皆、企画してくれたY君、ありがとう。
2010年4月17日土曜日
Day79 帰国します。
これから帰国します。
ハワイ時間では今、朝の7:07です。
日本時間14:10に成田空港第一ターミナルに到着予定です。
お出迎えよろしくお願いします。
帰国したら、友達が集まってくれて帰国パーティーが待っているみたいです。
お土産買ってあるから楽しみにしていてくれ。
Day77~Day78までの二日分の記事は書けませんでした。
飛行機の中で暇だったら書こうと思います。
それじゃあ、また。
ハワイ時間では今、朝の7:07です。
日本時間14:10に成田空港第一ターミナルに到着予定です。
お出迎えよろしくお願いします。
帰国したら、友達が集まってくれて帰国パーティーが待っているみたいです。
お土産買ってあるから楽しみにしていてくれ。
Day77~Day78までの二日分の記事は書けませんでした。
飛行機の中で暇だったら書こうと思います。
それじゃあ、また。
2010年4月16日金曜日
Day76 ハワイ島一日観光にて
朝4時に起きて、5時にホテルを出発し、7時過ぎの飛行機に乗って、ハワイ島へ行ってきました。
僕はパッケージツアーというものがそもそも好きじゃないし、こんなに朝早くから日帰りでハワイ島なんかに行きたくも無かったのですが、両家の家族全員が参加するということもあって、一応付いて行きました。
ハワイ州にはいくつかの島があって、一番有名なホノルルがある島がオアフ島です。他にも6つの島、ハワイ島、マウイ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、ニイハウ島と100以上の小さな島(人が住んでいたり住んでいなかったり)があります。
この中で一番大きな島がハワイ島で、コナコーヒーやキラウェア活火山やマウナケア休火山などが有名です。今日の観光の目玉は溶岩ウォークと名づけられた、溶岩の上を歩くメニューだそうでした。
ハワイ島のコナ国際空港に到着するとH社の斡旋員が待っていて、僕らと他のお客が全員揃ったところで、現地の旅行会社のガイドさんに引き継ぎました。
この現地の旅行会社のガイドがなかなか変わった人で、マサさんという名前の男性だったのですが、かなり英語的感覚で日本語を話す方でした。それもかなり流暢に日本語を話す上に、顔は思いっきり日本人だったので、ちょっと悪い印象を受けました。
例えば、僕らの家族が4人、4人に分かれてバスの席を座っていた時には、「おたくら、一つのグループだけど、別々に座っちゃっていいの?」と聞いてきたり、他のお客が買い物したいと言い出した時には「そうなんだよな~、日本人みんなホノルルでブランド物ばっか買ってくからな。金持ってんな。でもハワイ島にはそんなもんは一つもないからな。覚えとくといいよ。」とか、かなりラフで乱暴な日本語で話しかけてきました。
言葉とは不思議なもので、彼のガイドが全て英語であれば、まったく違和感なく過ごせるように思うのですが、日本語であの慣れ慣れしさ、乱暴な物言いはかなり受け入れにくいものでした。
それと、客である日本人を少し小ばかにするような発言が何度もあって、やっぱり日本人の僕としては、確かに彼の言うことはわかるし、一部は的を射ているけれども、ちょっと感じ悪いなといった印象でした。日本人を相手に商売をしているんだから、思っていても言ってはいけないことってのがあるもんです。
でも確かに日本旅行者は比較的ツアー客であることが多いし、ツアー客の傾向として、やっぱりミーハー的な行動をし、バッジをつけて、お土産物を大量に購入し、観光名所だけを廻って写真を撮ってお終い、という観光行動をとってしまうものなのです。テレビで紹介されたり、ブームになっているところには本来のその土地の歴史やストーリなんか無視して、こぞってテレビで取り上げられたことだけを消費しようとする日本人観光客は、欧米人観光客と比べるとやっぱり多いように思います。この差はなんなんでしょうか?数年前にスピリチュアルの江原さんがハワイ島に来て溶岩が流れたあとに出来たトンネルで何かを感じたことがあったそうですが、そのテレビ番組が放映されるやいなや、一気にそのトンネルを訪れる日本人観光客が増えたそうです。それで、現地の旅行社の人達はバカにしてかどうかは定かではないですが、そのトンネルを江原トンネルと名づけたと言って笑っていました。
そして、旅行をしていて、改めて気づいたことなのですが、外国を旅行する日本人旅行者は日本人に見えないと言われると嬉しいらしいです。かく言う僕もやっぱりそうなんですが。カンクンで知り合った日本人旅行者達も、他の街で見かける日本人旅行者も、日本人に見られないような努力をしているように感じました。彼ら曰く、日本人に見られると何かと危険だから、という大義の元そういった努力をしていると言うのですが、僕個人的な感覚としては、日本人に見られないこと、というのはファッション的にカッコいい感覚に似ていると思います。
また、外国では日本人に会いたくないと考えている日本人も多いように思います。かく言う僕もやっぱりそうなんですが…。 フィレンツェで日本人ばかりだと、やっぱり気が滅入ります。モロッコまで行ったのに、土産物屋がこぞって日本語で接客してくると気が滅入ります。でもドミトリーでは日本人がいないかってついつい探してしまいます。日本人が居てくれると安心するというのもまたその通りなんですが…
ガイドのマサさんの両親は日本人なのですが、子供の頃にアメリカに渡って、今は完全にアメリカ国籍だそうです。彼のような人のことを冗談でバナナと言うそうです。バナナ!
話がだいぶ横道にそれましたが、僕らはH社のツアーでハワイ島観光に行き、ホノルルでは味わえないハワイの違う一面を見ることができました。どこがどうだという説明をするような場所はあまりないので、ウェブアルバムで写真を見てもらえればと思います。
◆ウェブアルバム Hawai2010
http://picasaweb.google.com/satoshimaejima/Hawai2010
現地のハワイアン達は、みんな口をそろえて、ホノルルから出るんなら、マウイ島がいい、マウイ島がいいと言っていました。街とビーチリゾートの割合が絶妙でいいんだそうです。次はマウイ島に行ってみたいです。
2010年4月15日木曜日
Day75 ハワイアンゴルフ
父と兄と新婦の父親と4人でゴルフをしてきました。
コオリナというエリアにあるゴルフ場で、コース自体はなかなか良い所でした。
でも、僕は今日一日、ずぅーっと嫌な気分を我慢しながらプレーしました。
なんでかって言うと、今日はめちゃめちゃ調子が悪く、ものすごい数を叩いてしまったからです。
ゴルフはなかなか気持ちの良いスポーツなのですが、それは調子が良いときのみで、スコアが悪いと一気に気分が悪くなります。
たまにプロゴルファーでクラブを叩きつけたりする人がいますが、今日の僕も何度とクラブを地面に叩きつけたくなる衝動を抑えながらプレーをしました。しかも新婦の父親もいたので、あまり悪い顔もできず、ずっと心の中で我慢していました。
ドライバーは安定せず、右に大きくスライスカーブしたり、左に大きくフックカーブをしたり、得意だと思っていたアイアンも今日はなぜかフックしたり、ダフったり、もうとにかく調子が悪かったです。ゴルフってこんなにもつまらないスポーツなのかって思いました。本当にあれは糞みたいなスポーツです。
でも、中学の時に所属していたソフトテニス部の顧問の先生が「一番調子が悪いときのプレーがお前の本当の実力だ。」って言っていたので、今日のスコアが僕の本当の実力なんだと思います。そう思うともう二度とゴルフなんてするもんかって思います。
高いお金を払ってこんな嫌な気分になるなんて、本当にゴルフってくだらないスポーツだなって思いました。
もうこんなに嫌な気分になるなんて、これならの前のビーチでピニャ・コラーダでも飲みながら読書していれば良かったです。
畜生!ゴルフなんて糞喰らえだ!
2010年4月14日水曜日
Day74 今日は兄の結婚式
今日は兄の結婚式でした。
ハワイで結婚式を挙げるなんて、さすがはドラ息子です。
といっても300人くらいの招待客が来たわけではなく、新郎新婦とその両親と僕と、僕の家の祖母の合計8人だけの、かなりこじんまりした挙式でした。
朝の9時にホテルを出発し(ホテルについてはいずれ書きますが、モアナ・サーフライダーという高級ホテルに泊まっています)10時ごろにコオリナというところにある結婚式場に到着し、だいたい11時から20分くらいの式を挙げて、その後、写真を撮りながら昼食会場まで移動し、両家で結婚祝いの食事会をして、だいたい3時頃にはホテルに戻ってきました。
個人的には結婚式といえば定番のゴンドラに乗って天井から光臨するように登場してもらいたかったですが、全体的にシンプルで上品で良い結婚式でした。花嫁さんもとても綺麗な方で、感じも良く、ご両親もなかなか立派な方々でした。
僕はサンフランシスコからホノルルに向かう飛行機の中で、持ってきた村上春樹の短編小説、パン屋再襲撃の中に収められている「ファミリーアフェア」という小説を読んでいたので、結婚式の後の食事会でなんていう冗談を言ってやろうかずっと考えていたのですが、皆さんとても立派で上品な方々だったので、とてもそんな冗談を言える雰囲気ではなく、空気を読んで静かに良い子にしていました。
でも、何かを考えていたというのは本当で、乾杯の挨拶が廻ってくる可能性があったので、どこに出しても恥ずかしくないような乾杯のスピーチを飛行機の中で考えていました。結局、乾杯の挨拶は僕の父親がやったので、この挨拶は使わず終いだったのですが。
ところで身内の結婚というものは、なかなか不思議な思いをするものです。
僕と兄は昔から着かず離れずの関係だったので、兄が結婚しようがしまいが、そんなものはカレーライスに福神漬けが乗っているか乗っていないか程度の違いしかないと思っていたのですが、いざ結婚してみるとこれは意外と嬉しいもんです。まぁそれだけお嫁さんが良い人だったということだと思うのですが。ソフトボール部の主将みたいな人じゃなくてよかったです。
身内が結婚すると、家族親族に新しいメンバーが一人加わったような感じがします。まぁ実際に一人加わったわけなんですが…。ドラクエで倒したモンスターが起き上がって、仲間にしてくれという時に感じる嬉しさと程度は違いますが、種類は似ているとか似ていないとか。
とにかく結婚式は終始、幸せ一杯の空気に包まれていて、僕の母親はもう完全に泣いていたし、新婦の父親も目が潤んでいました。僕は小さい頃にわずらった病気の治療で涙腺を焼いてしまっているので、泣こうにも涙が出ず、こみ上げる感動をぐっと噛み締めておきました。
さて、これからは僕が両親に結婚のプレッシャーをかけられる番になります。
「僕は性格が偏狭なうえに靴下をあまり洗濯しなかったものだから、一緒に暮らしてもいいと思ってくれるような素敵な女の子と巡りあうことができなかったんだ。」と言ってかわそうと思います。
兎にも角にも、我が兄よ。おめでとう。
2010年4月11日日曜日
Day73 最後の目的地
73日目です。
あと、一週間になってしまいました。
あっという間です。
今日はこれから空港に行って、ホノルルへ飛びます。
現地時間の夕方にホノルルに着きます。
明日は兄の結婚式です。
もう行かなくちゃ。それじゃあ、また。
あと、一週間になってしまいました。
あっという間です。
今日はこれから空港に行って、ホノルルへ飛びます。
現地時間の夕方にホノルルに着きます。
明日は兄の結婚式です。
もう行かなくちゃ。それじゃあ、また。
2010年4月10日土曜日
Day72 -The Rock- "岩"と呼ばれる孤島
今日は午後からフェリーに乗ってアルカトラズ島へ行きました。
ショーン・コネリーとニコラス・ケイジが出演している有名な映画「The Rock」の影響もあって、この島はサンフランシスコ観光には欠かせない目玉になっています。
フェリーのチケットも2日後のチケットしか買えないほどの混雑様で、僕は一昨日のウォーキングツアーの後に今日の14:50発のチケットを買いました。
アルカトラズ島はサンフランシスコからわずか2.4Kmの距離に位置する孤島です。アルカトラズ島は1847年までまったくの未開の島で、この島を訪れていたのは、オーローン族やミウォック族などの先住民だけでした。
その後、ゴールドラッシュによってサンフランシスコの人口が一気に増え、都市化が進むと、アルカトラズに砦が建設され、街の防衛拠点として重要な役割を担うようになります。1861年に南北戦争が起こると、アルカトラズには当時の最新の武器や砲台が調えられ、常時400人以上の兵士が常駐していました。戦争が終わると、アルカトラズの砦としての役割はなくなり、今度は刑務所として利用されるようになります。
1907年に要塞としての役割を解かれる以前からもアルカトラズには犯罪兵や国事犯の罪に問われた市民、南軍の兵士などが連行され、収容されていました。アルカトラズに収容されていた悪名高く有名な囚人には”スカーフェイス”アル・カポネや”バードマン”ロバート・ストラウドなどがいました。他の刑務所では受け入れられないような、脱走の危険がある囚人や他の囚人といざこざを起こす可能性の高い囚人など、アルカトラズにはより凶悪な犯罪者が集まるようになっていきました。
アルカトラズで企てられた脱走数は14件なのですが、この中で最も有名なのはフランク・モリスとジョン・アングリン、クラーレンス・アングリン兄弟の一件です。偽者の顔を作り、ベッドの中に変わり身を忍ばせ、13本のスプーンを使って、独房の壁に穴を開け、通気ダクトを抜けて海へと逃れました。3人の遺体は海から上がっておらず、行方はわからず終いになっているそうです。「アルカトラズからの脱獄」という映画にもなっていて、帰ったら見てみようと思います。
他にも脱獄をしようとして失敗し、看守8人を人質にとって2日間の篭城をし、最終的に軍によって殲滅させられた事件などもありました。
映画や小説からアルカトラズは厳しい刑務所としてのイメージが定着していますが、実際には刑務所内は清掃が行き届いていて、さらに食事も良かったと言われています。
そんなアルカトラズ刑務所も維持費と運営費の膨張のため、1963年に当時の司法長官ローバート・F・ケネディによって閉鎖され、その後はインディアン達に選挙されたり、宇宙開発をテーマにした遊園地にされそうになりながらも、1972年に国立公園として指定され、現在の観光地となりました。
というようなことが、より詳しく、物語風にまとめられているオーディオガイド(日本語もある)を無料で貸してくれ、オーディオガイドの案内に従って、刑務所内や島内を見学することが出来ます。ちょっとした冒険気分を味わうことが出来て、かなり楽しかったです。
オーディオガイドの中で「この狭い牢屋に入っていると、だんだん牢屋が自分の家になり、さらにしばらくすると自分そのものになんだ。」という一節があったのですが、これはなかなか意味深なセリフです。
学生のときに勉強していた言語学者の有名な言葉に「言葉の牢獄から抜け出すことは出来ない」というようなものがありました。全ての人間の活動は言葉と言葉の間に生まれる相対的な意味世界の中でのみ成立していて、言葉で表現できる以上のことを表現したり、考えたり、行ったりすることは出来ないといったような意味(だったと思う)なのですが、当時なるほどなと思ったことをアルカトラズの牢獄を見て、思い出しました。
日本という文化体系、言語体系の中で生活していると、いつの間にか日本的感覚が自分のホーム感覚になり、終いには日本的感覚が自分そのものになって、なんでもかんでも、その中で判断するようになります。それは見方によっては狭い価値観といったネガティブな見方にもなってしまうのですが、日本的感覚だけでも充分な量と質があると思いますし、他の言語体系がどうしても必要なわけでもないので、良いとか悪いという問題ではないです。日本で暮らすには日本語を話し、日本の文化体系の中に身を置かないといけないのですから。
ただ、たまにこうして旅行をしたり、外国の考え方や価値の体系、言語体系に触れることで、より自由に近づけるような気がするんです。
旅行とは普段、無意識のうちに閉じ込められている言葉の牢獄からの一時的な脱獄なのかも知れません。
↑ってちょっと格好良くないですか?笑
ショーン・コネリーとニコラス・ケイジが出演している有名な映画「The Rock」の影響もあって、この島はサンフランシスコ観光には欠かせない目玉になっています。
フェリーのチケットも2日後のチケットしか買えないほどの混雑様で、僕は一昨日のウォーキングツアーの後に今日の14:50発のチケットを買いました。
アルカトラズ島はサンフランシスコからわずか2.4Kmの距離に位置する孤島です。アルカトラズ島は1847年までまったくの未開の島で、この島を訪れていたのは、オーローン族やミウォック族などの先住民だけでした。
その後、ゴールドラッシュによってサンフランシスコの人口が一気に増え、都市化が進むと、アルカトラズに砦が建設され、街の防衛拠点として重要な役割を担うようになります。1861年に南北戦争が起こると、アルカトラズには当時の最新の武器や砲台が調えられ、常時400人以上の兵士が常駐していました。戦争が終わると、アルカトラズの砦としての役割はなくなり、今度は刑務所として利用されるようになります。
1907年に要塞としての役割を解かれる以前からもアルカトラズには犯罪兵や国事犯の罪に問われた市民、南軍の兵士などが連行され、収容されていました。アルカトラズに収容されていた悪名高く有名な囚人には”スカーフェイス”アル・カポネや”バードマン”ロバート・ストラウドなどがいました。他の刑務所では受け入れられないような、脱走の危険がある囚人や他の囚人といざこざを起こす可能性の高い囚人など、アルカトラズにはより凶悪な犯罪者が集まるようになっていきました。
アルカトラズで企てられた脱走数は14件なのですが、この中で最も有名なのはフランク・モリスとジョン・アングリン、クラーレンス・アングリン兄弟の一件です。偽者の顔を作り、ベッドの中に変わり身を忍ばせ、13本のスプーンを使って、独房の壁に穴を開け、通気ダクトを抜けて海へと逃れました。3人の遺体は海から上がっておらず、行方はわからず終いになっているそうです。「アルカトラズからの脱獄」という映画にもなっていて、帰ったら見てみようと思います。
他にも脱獄をしようとして失敗し、看守8人を人質にとって2日間の篭城をし、最終的に軍によって殲滅させられた事件などもありました。
映画や小説からアルカトラズは厳しい刑務所としてのイメージが定着していますが、実際には刑務所内は清掃が行き届いていて、さらに食事も良かったと言われています。
そんなアルカトラズ刑務所も維持費と運営費の膨張のため、1963年に当時の司法長官ローバート・F・ケネディによって閉鎖され、その後はインディアン達に選挙されたり、宇宙開発をテーマにした遊園地にされそうになりながらも、1972年に国立公園として指定され、現在の観光地となりました。
というようなことが、より詳しく、物語風にまとめられているオーディオガイド(日本語もある)を無料で貸してくれ、オーディオガイドの案内に従って、刑務所内や島内を見学することが出来ます。ちょっとした冒険気分を味わうことが出来て、かなり楽しかったです。
オーディオガイドの中で「この狭い牢屋に入っていると、だんだん牢屋が自分の家になり、さらにしばらくすると自分そのものになんだ。」という一節があったのですが、これはなかなか意味深なセリフです。
学生のときに勉強していた言語学者の有名な言葉に「言葉の牢獄から抜け出すことは出来ない」というようなものがありました。全ての人間の活動は言葉と言葉の間に生まれる相対的な意味世界の中でのみ成立していて、言葉で表現できる以上のことを表現したり、考えたり、行ったりすることは出来ないといったような意味(だったと思う)なのですが、当時なるほどなと思ったことをアルカトラズの牢獄を見て、思い出しました。
日本という文化体系、言語体系の中で生活していると、いつの間にか日本的感覚が自分のホーム感覚になり、終いには日本的感覚が自分そのものになって、なんでもかんでも、その中で判断するようになります。それは見方によっては狭い価値観といったネガティブな見方にもなってしまうのですが、日本的感覚だけでも充分な量と質があると思いますし、他の言語体系がどうしても必要なわけでもないので、良いとか悪いという問題ではないです。日本で暮らすには日本語を話し、日本の文化体系の中に身を置かないといけないのですから。
ただ、たまにこうして旅行をしたり、外国の考え方や価値の体系、言語体系に触れることで、より自由に近づけるような気がするんです。
旅行とは普段、無意識のうちに閉じ込められている言葉の牢獄からの一時的な脱獄なのかも知れません。
↑ってちょっと格好良くないですか?笑
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