2010年3月29日月曜日

Day60 カリブ海の真珠

僕の旅行ですが、残すところあと20日になりました。
今日はこれからカリブ海の真珠、キューバに行ってきます。
4泊5日間のキューバ滞在です。

キューバはご存知の通り社会主義政権です。
スーパーマーケットに行っても商品が陳列されていないそうです。
資本主義社会の基本である供給過多的な商品の陳列はキューバでは有り得ないみたいです。
ネットが使えるかどうかもわかりません。ブログの更新は出来ないかもしれません。

でも、40年代のクラシックカーが走っていたり、マクドナルドやコカコーラの看板のない街並みがあったり、キューバ、楽しみでなりません。
日本人宿で知り合った人も口々に「キューバはいい。」と言います。
とりたてて何がいいわけではないのだけど、とにかく「キューバはいい。」そうです。

きっと僕達日本人や資本主義社会の国々の人が体験したことのない空気が流れているんだと思います。

でも僕はベーシックインカム構想には断固反対です。
やっぱり人間は一生懸命働かなければいけないと思います。とニートの僕が言えた口ではありませんが…。笑

それでは、また。

Day59 チチェン・イツァ

カンクンからバスに揺られること3時間、マヤ文明の遺跡、チチェン・イツァに行って来ました。
マヤ文明にもその他のメソアメリカ文明にあるようにピラミッドが存在しています。


写真のピラミッドはククルカン(ケツァルコアルトルのマヤ語表記)のピラミッド、通称カスティーヨです。
カスティーヨは天文学の技術を駆使して建造されたピラミッドで、カレンダーや時計の機能を持っています。またその精巧さはスイス時計の機械仕掛けにも引けをとらないほどのものだそうです。
有名な話では、このピラミッドの北側にある階段の地上に面している段に蛇の頭(ククルカンの化身)のモチーフがあしらわれているのですが、毎年2回、春分の日と秋分の日にだけ真西から照らされた太陽光によって影が出来、この蛇の頭に胴体が現れるように計算されているのです。影の出現は一分の狂いもなく精密に計算されていて、毎年、春分の日と秋分の日だけしか、この現象を見ることができないそうです。

残念ながら今年の春分の日は1週間前でした。


上の写真は戦士の神殿と呼ばれるところで、ここは生贄信仰の舞台になったところです。
現代のサッカーのような球技をし、勝ったチーム(あるいは負けたチームとも言われている)のキャプテンが生贄にささげられていたそうです。生贄の方法は非常に残酷(だと現代的感覚では思う)で生贄の両手両足を押さえつけ、執刀係の神官が黒曜石のナイフを持って、生贄の左あばら骨の隙間を切り開きます。もちろん生きたままです。開き口から手を入れて心臓を鷲づかみにして、ちぎり出し、写真の中央にある、横たわった人(名前は忘れましたが何かの神)のお腹の上にある皿に載せ、神々に奉げていたそうです。後期マヤ文明では(アステカでも)このような生贄が毎日のように行われ、生贄を確保するために、戦争を行うこともあったそうです。
伝承に残っているなかで最も大規模な生贄の儀式では数百という生贄が一度に奉げられ、ピラミッドが流れ落ちた人間の血で真っ赤になったこともあったそうです。
それもこれも2012年12月23日に消滅してしまうと言い伝えられてる第5の太陽の寿命を延ばすための神頼みだったそうです。

僕は現代の日本に生まれて、本当に良かったなと思いました。

マヤ文明を始めとするメソアメリカ文明の興味深いところは、文明の後退が見られる点です。
現代科学にも引けを取らないほどの高度な天文学を有していた文明が謎の消滅を遂げ、再び復活するということがいくつかあるのですが、復活後の文明はあきらかに前の文明が有していたほどの科学技術を持たず、未開の生活を営んでいたり、前述した血の生贄の儀に取り憑かれてしまっていたりします。

中央アメリカには不思議な歴史が残っています。
もう一度、中学生からやり直せるなら、考古学者になってみたいようなみたくないような、不思議な気持ちにさせられました。

2010年3月28日日曜日

Day58 CASA吉田



今、カンクンでいわゆる日本人宿と呼ばれる宿泊施設に泊まっています。
日本人宿と呼ばれているところにはどうやら2種類あるらしく、①いつのまにか日本人ばかりが宿泊するようになった結果的日本人宿と②最初から日本人しか宿泊できませんよとしている本質的日本人宿があるそうです。
今、僕が宿泊してるCASA吉田という日本人宿は後者で、日本人しか宿泊することができないところです。

今までずっと、Hostelbookers.comというユースホステルやホステル、安宿専門の宿泊予約サイトを利用して宿泊先を決めていたのですが、ここに来て、日本人宿に泊まってみようと思い立ちました。

理由はとりわけビーチリゾートにおける西洋人のはちゃめちゃなノリにちょっと付いていかれないと思ったからです。

ここカンクンの日本人宿でもいろいろな人に出会いました。
みんなそろいもそろって兵揃いで呆れてしまうほどです。

まず、アヤミさんという女性がいました。僕より2つ年下の女性なのですが、彼女は10代の時にイタリアに渡って3年間イタリア料理のレストランで働いていたそうです。その後、一度帰国して、ワーキングホリデーをしながら今は2年半程、一人で旅をしているそうです。僕より2つ年下ですが、かなりたくましい女性です。

同室にはヨーヘイ君と僕と同じ歳の男がいて、彼は今6週間くらい旅をしていて、これから南米に行くそうです。帰国はあと5ヵ月後くらいを予定しているけど、場合によっては帰国を先に延ばすかもしれないと言っていました。イタリア人の女の子とアルゼンチン人の女の子とどこかで知り合ったみたいで、一緒にビーチに行くと言って、ニヤニヤしながら毎朝出かけていきます。そんな男は死ねばいいのにって思います。彼は6週間旅行をしているだけで、かなりスペイン語が話せるようになっていて、ガイドブックの後ろの方に付いている簡単旅行会話集に載っているフレーズ程度なら、だいたいわかるそうです。実際にテストをしたのですが、ほとんど理解していました。しかも、この旅に来るまでスペイン語を勉強したことは一度もないそうです。おそるべし語学能力です。きっと旅を終えて日本に帰ってくるころにはスペイン語とポルトガル語がぺらぺらになってるんだと思います。

もう一人同室に坂元君という、これまた僕と同じ歳の男がいます。彼はちょっとした有名人です。彼は「世界の国からコンニチワ」というブログを書いているのですが、彼のこのブログは旅行ブログ村というサイトの世界一周部門で第3位になっているそうです。1日に5000アクセスくらいあるそうです。5000アクセスがどれくらいすごいかというのは、僕のブログについているアクセスカウンターを見てもらえればすぐにわかります。僕のブログのアクセスカウンターの数は一日分でなく累計分です。彼も僕と同じニート(でも僕は次の仕事があって未来は明るいけど、彼のは暗い)で、大学を卒業して、新卒採用で社会人になり3年で会社を辞め、旅に出るという典型的なダメ人間です。今まで8ヶ月旅行をしていて、これから南米を旅行して8月頃に帰国するそうです。
彼とはなかなか気が合って、明日一緒にチツェンイツァに小旅行に行くことになりました。

他にも夫婦で長い期間旅行をしている人や、女性一人で南米を3ヶ月旅行する人など、兵揃いです。なんだか日本人は何をするにも凝り性でストイックなんだなぁって思いました。

今まで泊まっていたユースホステルみたいなところで知り合った外国人にも長く旅行をしている人(イギリス人のマルコスとか)もいましたが、数週間程度の旅行者がほとんどでした。比べて日本人宿で出会った日本人旅行者は平均して、長期間の旅行をストイックにこなしている人が多いです。長く旅行をすればすごいっていう単純なものでもないとも思いますが、やはり長く旅行をするのは大変なことで、すごいことだと思います。
日本人は鮮魚の保存技術にしてもお茶やコーヒーの淹れ方にしても、どの国の人よりもこだわり、なんでもかんでも所謂○○道というレベルにまで持ち上げようとするように感じます。きっと歯の磨き方にしても日本人の磨き方はものすごいんじゃないかって思います。やっぱり日本は国民総ヲタク国家なんです。


ところで、「旅」と言うと、ちょっとストイックな感じがします。「旅行」と言うのとは少し違った印象を持つ言葉です。
これは「ハム人間」と「ハムの人」という言葉が持つ印象や意味が違うのと似ている気がします。「ハム人間」というのは悪魔の実の一つ「ハムハムの実」を食べた超能力人間で、触れた物をなんでもハムに変えてしまうという特殊能力を持っている人のことを言います。一方「ハムの人」というのはお歳暮に決まってハムも届けてくれる人、別所哲也のことを言います。「ハム人間」の方が「ハムの人」より凄まじく強そうです。
同じように「タビ」の方が「リョコウ」より凄まじく強そうな印象があります。辞書上は同じ意味を持つ言葉なのに、意味世界が大きく違うというのは不思議なもんだと思いますが、きっと映画や小説などを通じてそれぞれの言葉が持つ意味世界の住み分けが自然と出来上がったんでしょう。

カンクンの日本人宿で知り合った人々の話を聞いて、僕の旅行はやっぱり「旅行」だなと改めて思いました。いつか、「旅」に出掛けることができたらいいなぁと思います。まぁ同じくらい煩わしくも思うのですが…。

2010年3月27日土曜日

Day57 Joven Mundosの人々

メキシコシティーで滞在しているJoven Mundosというユースホステルは今まで滞在した世界中のユースホステルのなかで飛び抜けて良いホステルです。

まず宿泊費がドミトリーで1泊なんと12USD(約1050円)です。
しかも、2食付なのです!夕食もついて1泊12USDって、安すぎます。
朝食にはパンとシリアルだけでなく、スクランブルエッグやイタリアでいうところのブルスケッタのような温かい料理も出してくれるし、夕食は量こそ少なめですが、トルティーヤだとか、そういったメキシコ料理を出してくれます。
立地はソカロという歴史地区のど真ん中にある広場に面していて、部屋も、バスルームも、共有スペースも綺麗に掃除されています。セキュリティーもしっかりしていて、オートロックのカードキーが部屋と玄関に設置されていて、二重ロックになっているし、部屋の中にも一人一つずつの大きなロッカーがあります。ベッドもマットレスもかなりしっかりしていて快眠できました。シャワーも24時間、お湯がバッチリ出るし、水圧も充分でした。屋上にソカロを見渡せるテラスがあって、朝食と夕食はここで食べれます。日中、ぼーと本を読むのに最高の場所でした。
スタッフもみんな感じがよく、親切で、当初3泊の予定でいたのが、メキシコシティーが想像以上に面白かったのと、ホステルの居心地が良かったのとで結局6泊してしまいました。

そして、このホステルでいろいろな人と出会いました。
(全員分書いたので、かなり長くなります。)

まず、イギリス人のマルコス。
彼は40歳のイギリス人で、初日だけ僕は彼と同じ2段ベッドの上の段で寝たのですが、次の朝、僕が朝食を食べていると、ものすごい勢いで話しかけてきて「昨日は寝れたかい?眠りを邪魔しちゃったなんて事はないかな?」と言ってくるので、「大丈夫ですよ。こちらこそ上で動いちゃってうるさかったら申し訳ないなって思ってたんです。」と言うと「大丈夫、大丈夫。ところで隣のベッドの下の段が空いたから、そっちに移ってもらえない?ホテルの人には僕が言っておくから。」と言って、僕に違うベッドに移ってもらいたいみたいでした。僕も下の段の方が良かったので「良いですよ。」と言って、隣のベッドに移ることにしました。イギリス人にしてはかなりハイテンションで話しかけてくる人で、最初はちょっと苦手なタイプかもって思いました。
一日、観光して、夜、部屋に戻ると、マルコスがギターを弾きながら熱唱していました。同部屋の韓国人のヨンがそれを聞いて、拍手なんかしていたのですが、僕はちょっとだけ、やれやれって思いました。ギターは週に2、3回練習しているそうです。それでも歌唱力とギターの腕はかなりのものでした。自分で作った曲もあると言って、Traveling gameというタイトルの曲を聞かせてくれました。なかなかいい曲でした。彼が言うには、ずっと放浪しながら暮らしているそうで、イギリスにはあまり戻らず、旅先で仕事を見つけたり、時には路上でギターを弾いて、お金を稼いだりしていると言っていました。今はメキシコシティで英会話の先生をしていて、2ヶ月ほどこのホステルに滞在していると言っていました。メキシコ人の恋人もいるそうです。この後はもう5ヶ月ほどラテンアメリカの国々に滞在して、その後一旦帰国し、また旅行に出るそうです。イギリス人には珍しいタイプの人です。
一度、ホステルの屋上テラスで彼と一緒に夕食を食べ、コロナビールを飲んだのですが「いかに日本人とイギリス人は礼儀正しいか」ということについて話し合いました。彼はいままで各地で会った日本人のほとんどが礼儀正しいことに驚いているということ、僕はイギリスに留学した際に、イギリスでは間接話法と言われるフォーマルな表現(例えば道を尋ねる際に、How can I get to the cetre of London?と聞くのではなく、Could you tell me...とかWould you mind if I ask you...といった感じ)をするように教えられたことなどを話し合いました。いろんな国での体験やそこで会った人々のことなど、彼の話はなかなか面白いものでした。このころには最初の印象と違い、彼は他人のことを非常に気遣う、(ラテン化しているけれども)イギリス紳士だなという印象に変わっていました。
ある朝、彼が目を覚まして、先に起きてベッドの上でネットをしていた僕に話しかけてきたのですが「メキシコシティを離れなくちゃいけない。次に行かなくちゃいけない」と言い出しました。「なんで?」と尋ねると「それがなんでかはわからないんだ。でも行かなくちゃいけない。何かがそう僕に言うんだ。Something tells me I have to move.」と言い出しました。「恋人は?」と聞くと「そうなんだよ。彼女にはそのことは言い辛い。でも言わなくちゃ。」と言います。恋人と別れたくなったんじゃないかとも思ったのですが、そんな感じでもなく(それに別れたいなら別れたいって正直に言うだろう)不思議な人でした。ホステルの女の子達とも仲が良く(まぁ2ヶ月も滞在しているので)マルコスは格好良いとみんな言ってました。きっとこの人はどこの国に行っても、それなりにやってけるんだろうな、すごいなと思いました。最後にメールアドレスを交換したので、いつか日本で会うかも?です。

続いて、韓国人のヨン。
韓国人とはどこの国でも比較的仲良くなり易いです。やはり同じアジア人だということが一番の理由なのですが、他にも韓国人は(日本人もそうですが)あまり直接的な表現をせず、なにかと譲り合う習慣があるので(たとえ心の奥では反日であったとしても)気を使ってくれて仲良くなりやすいんだと思います。ちなみに日本人同士はなぜか仲良くなりにくいです。旅行先に来てまで日本人と話したくないと思っているのか、それとも単にシャイなのか。あとは日本語とそれが作り出す文化体系が仲良くなりにくい原因を作っているように思います。僕自身、英語で話している時の方が日本語で話している時よりもフレンドリーに振る舞い易く感じています。一度、マルコスと夕食を食べていたときに、日本人の女の子1人と香港人の女の子1人、メキシコ人の男の子1人と女の子1人のグループ(彼女はアメリカの大学に留学していて、そこでみんなと知り合ったらしい)が僕らの近くの席に座ったのですが、マルコスが「日本人?」と話しかけて、そこからその子達と少し話したのですが、日本人の彼女は僕が日本語で話しかけても、英語で話し返してきます。途中からは完全に日本語になったのですが、日本語のときはやけにぎこちなく、英語のときの方が、笑顔で感じが良い印象を受けました。
マルコスが「今、日本人が礼儀正しい(polite)だということについて話してたんだけど、君もそう思うでしょ?」とその子に聞くと「No.」と言いました。「なんで?みんな礼儀正しいじゃん?」と言うと、「日本人の男はジェントル(gentle)じゃない。アメリカ人はみんな優しい。」と言い出しました。おいおいちょっと待てよ!と思いましたが、僕はマルコスに「日本人の男だってもちろん女の子には優しいけど、表現の方法が違うんだ。いわゆるジェントルマンってのは日本的じゃないんだよ。でも最近は映画とかの影響で、西洋風なジェントルマンが人気なんだよ。」と日本人の男として一応の弁明をしておきました。そしてその女の子に「でも日本人の顔した男が日本国内でアメリカ人みたいに思いっきりジェントルに君の事を扱ったらどう?」と聞くと、「それはちょっと嫌かも。」と言っていました。女の子って難しいもんです。
話を戻して、ヨンはアメリカにある大学でマスターコースに通っているそうで、春休みでメキシコに遊びに来たそうです。僕より一足先にカンクンに行ってしまい、一足先にキューバに行くそうです。彼ともメールアドレスを交換したのですが、すでに韓国にはカン・キョンミンという親友(と向こうは言う)がいるので、ヨンとはそれほど仲良くなることはないと思います。国ごとに友人の定員数があるというのはおかしな話ですが、すでに友人がいる国の人とは(よほど意気投合しないかぎり)仲良くなりにくい気がします。だって韓国に3人も4人も友達がいたら、韓国に行く度にみんなに会わないといけないし、そのたびにスーツケース一杯の韓国海苔をお土産に持たされるわけですから。同様にイタリア人の友人も今後、よほどのことがない限り作らないような気がします。おかしな話ですが…。

次はアメリカ人のマカンジー。彼はバスでメキシコに入国し、バスでアメリカに帰るそうです。彼もギター弾きで、ギターを持って旅行することの良さを教えてくれました。ドミトリーの部屋とか、街中でギターを弾けば、いろんな人と仲良くなれると言っていました。確かに音楽に国境はありません。アメリカ人のゆとり世代なのかどうかはわかりませんが、(僕の勝手な)アメリカ人のイメージと違って、控えめで、日本人並みのコミュニケーション能力の男でした。どうやらスコットランド系の移民だそうで、彼の控えめな態度はかなり好印象でした。

もう一人、アメリカ人のおじさんがいたのですが、名前は忘れました。この人は60歳で、ひとりで旅行をしているそうです。すごく感じのいいおじさんで、「南部にあるプエルト・エスコンディートという漁村で釣りをしてきたんだ。船に乗って、ロッドも餌も全部込みで1日たったの60ドルで釣りが出来るんだよ。マグロを3匹釣って、カジキもヒットしたんだけど、バラしちゃったよ。」と嬉しそうに教えてくれました。僕に今後の予定を聞くので「カンクンに行って、キューバに行きます。」と言ったら「キューバ、お前さん、あんな危険な国に行くのか?」と言っていました。アメリカ人にとってキューバはやはり敵国なようです。

あと、バスク(ってフランス?スペイン?)のおっさんもいましたが名前は忘れました。この人はスペイン語しか話せないのですが、なんとかイタリア語とスペイン語で話をしていたら「俺はスペイン人じゃない!バスク人だ。」と言われました。きっとバスク地方の人達はブルターニュ地方の人達のように、民族意識がめちゃめちゃ強いんだなと感じさせられました。

あとアルゼンチン人のパブロ。
彼は僕がメキシコシティーを離れる前日の夜に来たので、あまり話はしなかったのですが、僕がキューバに行くと言うと、ちょうどキューバから来たところだから、キューバでお世話になったキューバ人の家を紹介してあげるよと言って、そこの住所と電話番号を教えてくれました。民泊的なことをやっているそうです。流石はラテンアメリカ人だけあって、彼は誰とでもすぐに仲良くなる上に、相手の肩や背中をやたらぽんぽん叩きながら話をします。ああいう人間が部屋に一人いると、みんなすぐに打ち解けられるんだなといった感じでした。将来日本に行くときのために、メールアドレスと電話番号を教えてくれと言うので、お互いに連絡先を交換しました。Facebookもやっているそうで、そっちでもコンタクトするよ。と言っていました。親切で良い人でした。

最後はフランス人のジュリアン。
この人もと同じタイミングでホテルに来たのですが、僕がチェックアウトする日の朝食を一緒に食べました。彼はパリに住んでいて、コンピューターのエンジニアをしていたのだけど、会社をクビになって時間が出来たので、旅行に来たと言っていました。「僕も、まぁクビになったわけじゃないけど、仕事を≪自ら≫辞めて、旅行に来てるんだ」と言っておきました。僕は大のパリとフランス料理好きなので、パリトークで盛り上がりました。彼もまた日本に大変興味があるみたいで、桜の季節に日本に行きたいと言っていました。フランスでは日本を特集するドキュメンタリー番組が人気で、多くのフランス人が日本文化(伝統文化からオタク文化まで)に興味を持っているそうです。「もしまたパリに来ることがあったら連絡してくれたら、It's my pleasureだ。」と言ってました。僕も日本に来たら花見に連れてってあげるよ。と言って連絡先を交換しました。

あとユースホステルで働いてる女の子達もみんな親切で良い人たちばかりでした。

メキシコにはどうやら気さくな空気が流れていて、みんな簡単に友達になれるみたいです。
ヨーロッパのホステルではもう少し人々はけん制しあっていたように思います。
いろいろな国の人と出会えるのって、やっぱり楽しいです。
日本にいるとき、僕は人見知りでひきこもり、低社会適応能力者だけど、外国でたまには羽を伸ばすのって面白いです。

さすがはメキシコ!ラテンの国!

Day56 ティオティワカン

 
ティオティワカンは紀元前2世紀ごろから紀元8世紀ごろまで、現在のメキシコシティーから北部へ50Kmほど離れたところで栄えていた古代文明です。
最盛期の5世紀から6世紀ごろにかけては人口20万人を超える世界一の大都市でもありました。

これほどの都市・文明がなぜこの中央アメリカにあったのか、彼らがどこからやってきて、なぜ突然、消滅してしまったのかといったことに関しては、いまだに多くの謎が残されていて、地球上にいくつかある太古のロマンの一つになっています。


その昔、ティオティワカンにはケツァルコアトルと呼ばれる蛇に象徴される神がいました。
また、ケツァルコアルトルは白い顔に長 いあご髭を蓄えた男性であったという伝承も多く残されています。
ティオティワカンのあまりにも壮大な街と圧倒的なピラミッド建造物を前に、このケツァルコアルトルと呼ばれる白人男性がはるか昔にあった(例えばアトランティスのような)超古代文明の出身者で、海を越えてこの地へやってきて、ティオティワカンの原住民達に文明を与え、文化を育んだのではないか、という説を唱える人もいるようです。

例えば、エジプトやメソポタミアに伝わる神話と、当時まったく交流が無かったはずの中南米に伝わる神話があらゆる点で酷似しているなど、超古代文明出身の第三者がこれらの地に別々に赴いて、それぞれに文明を与えたという説を肯定できる要素がいくつもあるそうです。
まぁ神話研究というものに対しては、こういった第三者説の他に、普遍的無意識によって神話の構造やシンボルは似通ったものになるという有力なユングの神話研究などもあるのですが。

今日はそんな古代ロマン溢れる、ティオティワカンに行ってきました。

でも、ティオティワカンに溢れていたのは古代ロマンではなく、地元メキシカン小学生の修学旅行生達でした。


面白いことに、メキシコ人の修学旅行生達はそろいもそろって弓矢(のおもちゃ)を買っていました。日本の修学旅行生が京都で木刀を買うのとまったく同じ行動です。
このことを考えると、やはり普遍的無意識を提唱しているユングの神話研究に歩があるのでしょうか。


そんな子供達にカメラを向けると、みんな笑顔で撮影に応じてくれました。
さらに、僕を取り囲むように集まってきて「どこから来たの?何人?」と聞いてきます。「日本人だよ。」と言うと「東京?東京?」と聞いてきて「東京じゃないんだ。」と言っても「東京でしょ?東京でしょ?」としつこく言ってくるので最後には「うん東京だよ」と言ってしまいました。東京だと言うと、なぜかみんな満足そうに「あぁ、この人は東京の人だ。東京の人だ。」と言い合っていました。メキシコの小学生は日本と言っても東京しか知らないみたいでした。

メキシコの小学生達はすれているところがなくて、みんな良い子ばかりでした。日本でたまに見かけるクソガキみたいな子はメキシコには一人もいませんでした。

今日はティオティワカンの歴史とメキシコの未来を感じた一日でした。

2010年3月26日金曜日

Day55 メキシカンアート



メキシコ国立美術館に行ってきました。
メキシコの芸術には、メキシコ革命以前と以後とで大きな違いが見られます。
革命以前の作品はヨーロッパ的な宗教画や風景画が多く、宗教界がにはスペイン絵画の特徴が、風景画にはフランス写実主義やオランダ黄金期などの特徴がよく見られます。ヨーロッパの美術館でみる絵画と大して変わらないなというのが印象でした。

一方、革命以降の作品(1920年頃以降)はメキシコ独自のアイデンティティを絵画の中に見出そうとする姿勢がよく見られました。
描写のタッチこそ西洋の手法を用いているのですが、書かれているモチーフや色使いが中米的な印象を与えています。やはり西洋絵画をベースにしている作品がほとんどを占めている様子で、ゴーギャン的なタッチの作品やキュビズムを取り入れた作品、僕が敬愛しているシャガール先生(この人はぶっ飛んでいます)の作風を思わせるような作品が展示されていました。
※ここに思いっきり作品の写真を載せるのは気が引けるので、興味がある人はウェブアルバム「MexicoCity2010」を見てみてください。

革命以降のメキシコの画家として有名なのは、フリーダ・カーロディエゴ・リベラ、シケイロス、ルフィーノ・タマヨなどです。ちなみにフリーダ・カーロとディエゴ・リベラは夫婦だったそうです。ウェブアルバムにある画面手前に朽ちた舟が描かれている作品の空の描き方がすごくいいなと思いました。ディエゴ・リベラの作品です。骸骨人間がキュビズムのタッチで描かれている作品はルフィーノ・タマヨの作品です。ちなみにタマヨはタマヨでも男です。

また、これらの革命時代のメキシコの画家達はメキシコ壁画運動の画家としても有名です。1920年代から30年代にかけてメキシコではメキシコ人のアイデンティティについて考える文化運動のようなものが起こりました。当時はまだまだ識字率が低かったため、字の読めない庶民でもメキシコの歴史を理解できるよう、また一部の特権階級だけでなく、誰もが目にすることができるように、公共建造物の壁が画家達に解放されました。

メキシコには古代からこの地に住み着いていたメソアメリカのインディアンと、侵略者のスペイン人、そしてスペイン人が連れてきた黒人奴隷の血が混ざり合って今のメキシコ人と呼ばれてる人達が形成されているので、彼らのアイデンティティはなんなのか、どこにアイデンティティを見出すべきなのか、ということが非常に難しい問題となっています。ティオティワカンやマヤ、アステカなどのインディアン文化を大切にするべきか、スペインによって持ち込まれたヨーロッパ的な文化を大切にするべきか、黒人奴隷と一緒に入ってきたアフリカの文化を大切にするべきか、大きな葛藤があったようです。侵略者のスペインを否定しようとしても、すでに自分の体の中にもスペインのDNAが混ざっているし、かといってインディアンの文化を捨てることもできず、当時のメキシコ人達はきっと苦しんだんじゃないかと思います。でも現代のメキシコ人は歴史は歴史として受け入れているらしく、スペインのことを毛嫌いしているわけでもなく、インディアンの誇りを失うわけでもなく、みんな穏やかに暮らしているような印象を持ちました。

ディエゴ・リベラはこのメキシコ壁画運動でもっとも成功した画家で、ニューヨークでも個展を開いたり、デトロイト美術館に壁画を提供したりと海外でも注目を集めた画家でした。メキシコシティ市内にはディエゴ・リベラ壁画館があり、ここに展示されている「アラメダ公園の日曜の午後の夢」という作品は非常に見ごたえのある作品でした。壁画の前にピアノが置かれていて(演奏はありませんでしたが)、壁画を一望できる場所にソファが設置されていて、座りながらのんびりこの巨大な壁画を鑑賞することができます。ここはオススメです。


ソカロと呼ばれる旧市街の中心地にある王宮の中の壁面にも巨大な壁画が描かれていて、メキシコの歴史や文化について説明しています。

メキシコのアートには単にお金持ちの道楽だとか、新しいアートの探求といった理由だけでなく、メキシコ人の民族アイデンティティの探求と復興を目的としたものが多く、そういう側面を意識しながら眺めると非常に奥深いものでした。

メキシコ、思ってた以上にかなり面白いです。

Day54 メソアメリカ文明

マヤ、インカ、アステカ文明などの中米から南米にかけての古代文明を総称してメソアメリカ文明と呼びます。

メソアメリカ文明で最も有名なのはマヤ文明、インカ文明、アステカ文明の3つの文明ですが、そのほかにもティオティワカン文明、オルメカ文明、トルテカ文明といった、いくつかの文明も含まれます。
これらの文明についてはいまだに不明な部分が多く、例えば紀元前2世紀頃から起源8世紀頃まで存在したティオティワカン文明は最盛期の5、6世紀ごろには20万人が住む世界最大の都市(ヨーロッパでは当時2万人を越える都市はコンスタンティノーブルだけ)であったのに、8世紀頃にはなぜか消滅してしまい、しかもティオティワカンの人達はどこからやってきて、どこに行ってしまったのか、未だによくわかっていないそうです。その後アステカ人達がその地にやってきて、ティオティワカン時代に建造されたピラミッドや神話を引き継いで、その地に住み、アステカ文明を作ったそうです。

メソアメリカ文明はいくつかの大小様々な文明の総称のため、簡単にはまとめられないのですが、特徴を列挙すると、例えば

農耕民文化
ピラミッド信仰
生け贄信仰
多神教
高度な天文学・数学技術

などがあります。
当時のメソアメリカ文明の人々は高度な天文学や数学の技術を用いて、正確な暦を作り、暦に則って農業を営み、また巨大なピラミッド建造物を造り、生け贄を奉げながら神々を崇めたそうです。
また、ヨーロッパ、アジア、アフリカから完全に隔離された地で発展した文明のため、きわめて独自の文化が形成されているそうです。
その独自で高度な(また不可解な)文明のため、宇宙人がやってきて、この地に文明を残していった説が未だにささやかれています。

今日はそんなメソアメリカ文明研究がまとめられているメキシコ国立人類学博物館に行ってきました。
でも日本語の音声ガイドの貸し出しが無かったので、良くわかりませんでした。結局あとでwikipediaでいろいろ調べる羽目になってしまいました。

なので、メキシコ国立人類学博物館に展示されている展示品の中で有名なもの、特徴的なものを紹介して終わりたいと思います。

まずは、アステカ文明の雨の神チャルチウィトリクエの像。


これはティオティワカン遺跡にある月のピラミッドの前に置かれていたものを、国立人類学博物館に運び、保存しているそうです。これはレプリカではなく、本物だそうです。
チャルチウィトリクエは現在の前の時代(っていつだ?)を大洪水で滅ぼし、当時の人間達を全て魚に変えてしまったが、この洪水の結果、大地が潤い、肥沃になって新しい時代の命をはぐくんだそうです。

つづいて、ティオティワカンにあるケツァルコアトル神殿のレプリカです。


ケツァルコアトルはティオティワカンやアステカの神々の一つで一般に羽毛の生えた蛇をかたどり、水と農耕の神として崇められていました。また時には白い顔の人として地上に現れたとも考えられており、1519年にスペインのエルナン・コルテスの軍が攻め込んできたとき、アステカの人々は当初、スペイン人達をケツァルコアトルの化身がやってきたと勘違いしてしまい、対応を遅らせてしまったともいわれているそうです。1519年は奇しくもアステカカレンダーで1世紀にあたる52年の最後の年、一の葦の年だったそうです。

最後はアステカンカレンダーです。


当時、高い天文学の知識と数学の知識を持っていたアステカの人々は1年を365日に分ける太陽の暦と1年を260日に分ける月の暦を使い分け、農耕を営んだり、生け贄を伴う祭事を行っていたそうです。このカレンダーには5つの太陽伝説が刻まれているそうです。すでに4番目までの太陽は消滅していて、現代は5番目(最期)の太陽の時代だそうです。最近テレビなどで取り上げられている、2012年世界消滅説も、この5番目の太陽の寿命が西洋暦の2012年で終わることになっているから、だそうです。
でも、メキシコ人は誰もそんなこと信じていなさそうでした。

中南米には当時のメソアメリカ文明を感じさせる、独特の文化がいまだに残っているようです。
僕は別段、考古学マニアではないのですが、なんだか胸がわくわくするような心躍る感覚を覚えました。
明日か明後日はティオティワカン遺跡に行ってこようと思います。


おまけ:ジョジョの石仮面?by 荒木先生?