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2010年3月19日金曜日

Day49 さようならヨーロッパ

振り返ると、この旅行を始めて8日目にはすでにヨーロッパにいました。
今日で49日目で、途中アフリカ大陸で7日間過ごしたので、35日間、ヨーロッパにいたことになります。

ベルギーから始まって、オランダ、フランス、イタリア、フィンランド、スウェーデン、スペイン、イギリスと8カ国に行きました。(でもイギリス以外のEU内はシェンゲン協定という協定によってパスポートの提示が無くても行き来できるので、パスポートのスタンプはほとんど溜まりませんでした。あれが結構いい思い出になるので少し残念です。)

8ヶ国を振り返ると、

ベルギー:洗練されたベルギー料理と文化を持つ落ち着いた国
オランダ:自由で偏見がなく、誰に対してもオープンな国
フランス:ちょっと気取ってるけど、鍛え抜かれた文化、芸術、料理を有する偉大な国
イタリア:圧倒的な親しみやすさを持つフレンドリーな国
フィンランド:信頼の上に成り立つ国、禁断のフィンランド
スウェーデン:世界一の美女軍団を誇る?北欧No1の強国
スペイン:ラテンの情熱の国(粗野な一面も)
イギリス:伝統性を重んじながらも変革を続けるヨーロッパNo1の大国

といった感じでした。

どの国からも素敵すぎる思い出を沢山いただきました。
でもやっぱりイタリアが良かったかなぁ。パリもロンドンも捨てがたい。今回、行けなかったロヴァニエミ(ラップランド)にも行きたいし、ストックホルムのナイトクラブにも行けなかった。フランス南西部で美食旅行もしてみたいし、パンプローナの牛追い祭りと闘牛も見てみたいし、イギリスでカナルクルーズもしてみたい。オランダもベルギーももう一回でも何回でも行きたい。ルカのお父さんは年に2回はペルージャに遊びに来いって言ってくれたし、まだまだヨーロッパにはやり残してきたことが沢山ありすぎて、この旅行が終わってからもなんとか機会を作って、遊びに行かなくちゃって思います。

ヨーロッパ大好きです。笑

さて、今日は朝の8時にホテルを出発して、最寄の地下鉄の駅で(19時の飛行機に乗る)兄と別れ、一人先にヒースロー空港へ向かいました。
ワイン業界ではヨーロッパの産地を旧世界と呼んで、アメリカ大陸やオーストラリアの産地を新世界と呼ぶそうです。ロンドンを出発すると、次は新世界です。
兄とはまた4月10日にハワイで(彼は結婚式を4月11日にハワイで挙げます)会います。別れる時、兄は「新世界で待つ。必ず来いよ!」とポートガス・D・エースのようには言いませんでしたが、一緒に旅行できて良かった、ありがとうと言いました。
僕も兄と二人で1ヶ月ちょっと旅行できたことを誇らしく思いました。僕達兄弟は別に仲が悪かったわけではないのですが、昔から兄弟らしいこと(って何だ?って思うけど)をやって来なかったので、今回初めて兄弟らしいことができたかなぁと嬉しく思います。まぁ途中お互いに緊張が走ることも何度かありましたが、致命的な喧嘩もせず、譲り合い、助け合いながらなんとかやってこれたと思います。値観の違う大人2人が一緒に長期間の旅行をするのって思ったより大変なんです。無事に終われたのは、なかなかすごいことだと思います。


↓ヨーロッパ各国の一枚
◆ベルギー

◆オランダ

◆フランス


◆イタリア

◆フィンランド

◆スウェーデン

◆スペイン

◆イギリス

Day48 ロンドンゴルフ


昨年の石川選手の目覚しい活躍と、今年に入ってからの宮里選手のアメリカツアー2連勝という素晴らしい活躍に感化された僕らは、少し前からイギリスに着いたらゴルフをやろうと話していました。

僕も兄も社会人になってからゴルフを始めたのですが、僕達兄弟がそろって出来るスポーツといったらゴルフかテニスかビリヤードくらいのもので、その中からわざわざイギリスでやるべきスポーツは何だろうということになり、ゴルフを選びました。

僕は年に3回か4回しかやらないのですが、ゴルフというスポーツは始めるにはそんなに難しくないスポーツで(熱狂してしまうとなかなか難しいのですが)、だいたい102~106くらいで回れるようになってきました。兄の方が微妙に上手ですが、ほぼ同じレベルです。

よく100を切れるとそこそこ上手な人の仲間入りと言われていますので、あと一歩というところです。会社員時代、何度か同僚とラウンドしたのですが、僕の順位はだいたい真ん中くらいでした。前の会社ではやはり部長クラスは上手く、課長クラスはそこそこ上手く、平社員クラスは下手でした。僕は課長達と同じくらいのレベルでした。(なので僕は素人にしては上手いということになります。笑)
目下の目標は(といっても練習もしないので、出来たらいいなぁ程度にしか思っていないのですが)100を切ることです。それで5年後くらいには平均して95以下で回れるようになりたいなぁと思っています。

インターネットで調べたRichmond Park Golf CulbというRichmond Parkの中にあるパブリックコースに行きました。プレーフィーが21ポンド(約3200円)で貸し靴が6ポンド、貸しクラブが8ポンドと、日本と比べて激安でした。イギリスではゴルフのプレーフィーはチャンピョンズコースであってもかなり安いようです。兄曰く、3月までだったら、セントアンドリュース(スコットランドにある全英オープンでよく使われるコース)でも50ポンドそこそこでプレーできるそうです。

一般にイギリスのゴルフコースは日本やアメリカのコースと違って、芝の手入れを敢えてあまりせずに、自然のまま、ありのままの環境の中でプレーをするという伝統的なスタイルのところが多いようです。フェアウェーやグリーンの芝は刈ってありますが、ラフではブッシュが膝まで伸びていたり、身長の2倍はあるような切り立ったバンカーがあったりと、ありのままの環境を維持したコースになっています。そういコースではもちろん難易度も格段に高くなります。全英オープンゴルフのテレビ中継なんかを見ると、膝下まである長いラフにボールを取られて何度も打ち出せずイライラしているプロやバンカーの壁面が高すぎてグリーンと反対方向にバンカーショットを打たざるを得ない光景なんかを目にします。プロゴルファーでも他の大会と比べてスコアが悪くなります。

そんな攻め甲斐のありすぎる難しいコースを楽しみにしていたのですが、Richmondのパブリックコースはだだっ広い公園みたいなところで、池もバンカーもブッシュもあまりない、平凡以下のコースでした。イギリスのコースは攻め甲斐がありすぎて、ボールを沢山失くすだろうと思って二人で一番安いボールを15個も!買ったのですが、ボールはほとんどお土産になってしまいました。結局ロストボールは僕が1個、兄が2個だけでした。平均以下です。


イギリスのパブリックコースでは基本的にセルフ(キャディーさんなし)で回ります。電動カートの貸し出しは有料だったので、キャリータイプの手動カートを借りて、歩いて回りました。普段日本のコースだと、半分くらい歩いて、半分は電動カートに乗って移動するのですが、18ホール全てを歩いて回るというのは、思ったより疲れるものでした。じわじわと鈍い疲れが足にや腰に溜まっていく感じです。

第1ホールからいきなり130ヤードのショートホール(パー3)だったのですが、9番アイアンで見事にワンオンさせて、パーセーブからの発進でした。第3、第4ホールと少し崩れて7打とか8打を叩いてしまったのですが、その後は大体ボギーかダブルボギーペース(時にはパーも)で大きく崩れることなく回り、トータルスコアが98でした。初めて100を切ったには切ったのですが、少し簡単すぎるコースだったので、自分の(公式)記録には含めないことにしようと思いました。


冬のロンドンにしては珍しく快晴が続いていて、今日も冴え渡る青空でした。
コース上には鴨たちが平然と座っていて、鴨たちを脅かさないように心がけながらプレーしました。鴨たちが気持ちよさそうに水浴びをする中、カートを引きながら青空の下に広がる緑の芝の上を散歩しながらゴルフをするのはやはり気持ち良いものでした。

明日、ロンドンを出発してニューヨークに行きます。
ロンドン滞在の最後の日にとてもいい思い出になりました。

※上の写真を撮ったときの球は大きく左側へ跳んでいきました。打ち終わった後に右足が残っていない悪いショットの典型です。 でもフェアウェイが広かったので、OBにならず、その後のショットをまとめてボギーでした。

2010年3月16日火曜日

Day47 恥の文化

実はイギリスに入国する際にかなり嫌な思いをしました。
入国審査の女性の態度がかなり高圧的で差別的だったのです。
今、僕らは無職なので、入国カードの職業の欄に無職を意味するunemployedと書いていろいろな国に入国しています。働いているとか学生と書いても別に良いのですが、しつこく聞かれたときに嘘がばれると厄介なので、正直に無職と書いて旅行しています。元サッカー選手の中田さんも引退後、世界旅行をしているのですが、入国カードの職業欄にはumemployedと書いていると言っていました。

今回、イギリス入国にあたっても、僕らはunemployedということで入国審査を受けたのですが、僕らを担当した女性が「へぇ、仕事してないんだ?」から始まって、「旅行費用は誰が払ってるの?」と聞くので、「今は働いていないけど、少し前まで働いてたので、旅行費用は自分達で払ってます。」と言うと、「旅費は幾らなの?」と聞いてきました。イギリスに入国するだけなのに、なんで僕らの旅行の予算なんか聞くんだと、最初質問の意図がわからず、少し戸惑っていると、急に声を荒げて「簡単な質問よ。わからないの?旅費は幾らって聞いてるの?」と言ってきました。「1,500,000円くらいだから、10,000ポンドくらいかな。」と言うと、「ふーん、けっこうお金ないんだね。」と言ってきます。いくらの予算で旅行をしようがお前には関係ないだろ!?と思ったのですが、入国で引っかかると面倒なので、一応、質問には答えたのですが、そこから「どこの国に行ってきた?」だとか、「これからどこの国に行くんだ?」と言う事を必要以上(だと常識的には思う)にしつこく聞かれました。それで少しでも回答が遅れたり、英語でつまずくと、また「これは簡単な質問よ。わからないの?」を繰り返してきて、その言い方がなんていうか、僕らのつたない英語や旅行をバカにするような感じがして、かなり嫌な気分になりました。いままでで、世界中で一番ムカつく入国審査員でした。

まぁそんなこともあって、かなり嫌な気分にさせられたのですが、僕はロンドンには3度目だったし、少し長く滞在していたこともあるので、ロンドンの良い所も沢山知っているし、今までのイギリス入国の際は、親切とまでは言えないにしても、特に問題なくすんなり入国することが出来ていたので、そのムカつく審査員一人くらいでは、ロンドンに対する印象はそこまで悪くならなかったのですが、兄はロンドンに来るのが2回目で、前回来たときも数日しか滞在していなかったせいか、今回のことでかなり気を悪くし、その後のロンドンの人々にも悪い印象を持ってしまっていました。基本的にロンドンの人達は親切ではなくて、他人のことには関わりたくないといった感じなのですが、そういうロンドンの人達の気質もこのときの兄にとっては嫌悪の対象になっていたみたいでした。

それで、僕がスペインに対して「粗野だ。」と言った(と少し言い過ぎてしまったのかもしれませんが)ことに対抗してか(どうかは定かではないですが)、「イギリスの方が数倍は粗野だ。」と言い出しました。

でもイギリスは決して粗野な国ではありません。
日本と同じような美しい田園風景を持っているし、伝統的な王室を持っているし、アフタヌーンティーなんていう優雅な時間の楽しみ方を知っているし、何より彼らは「恥ずかしい」という感覚を持っていると思います。

僕が使った「粗野」という言葉について、兄と少し話をしたのですが、僕が「粗野」だと言っているのは、決してスペインの人達が僕に親切にしてくれなかったからではなくて、スペインの人達に「恥」の文化や感覚が見受けられなかったからです。(これも僕が個人的に感じたことなので、実際にスペイン人に聞いたら、恥の感覚はもちろんあるよと言われるかもしれませんが。スペインの人、ごめんなさい)

大人になるということは、少なくとも「恥」を知ることだと思います。
かつてルース・ベネディクトが「菊と刀」で分析したように、日本は「恥の文化」の上に成り立っていると僕も思います。契約や法によって禁止されているからやらない、というより「恥」だからやらないということの方が僕らの感覚に近いように思います。日本人の行動原理に「恥」という感覚が(最近はそうでもないこともありますが)基本的には影響しているのではないでしょうか。
そういう意味で日本は非常に成熟した文化を持っていると僕は思っています。
「恥の文化」があるなと僕が感じた国は、イギリス、フランス、フィンランド、中国(共産党除く)などです。

逆にトヨタ問題で検証の捏造をしたり、ロト6的感覚で集団訴訟を起こそうとしたり、捕鯨船に体当たりしておいて被害者を声高らかに演じてみたり、盗撮を流してアカデミー賞を獲っちゃたり、条約を無視して過去の戦争の法的責任を掘り返したり、疑惑の判定をしてみたり、疑惑を説明しないまま幹事長や総理の座に居座ってみたり、そういう国や団体、人達のことを「恥」を知らない「粗野」だと僕は思います。

イギリス人にも粗野な人は確実にいると思いますが、イギリス自体は決して粗野な国ではありません。
なかなか素敵な国だと思います。

他人が嫌がるようなこと、他人を貶めるようなことは恥ずかしいことだから、僕はやりません。
その入国審査員にはかなり嫌な気分にさせられましたが、人の振り見て我が振り直せということだと思って、悪いサンプルにしようと思います。

Day46 5年越しのレストラン

前にロンドン留学をしていた時、ホストファーザーに「ロンドンの街中で美味しいイギリス料理のレストラン知らない?」と聞いたことがありました。
ホストファーザーのブライアンは少し考えて、「ブラウンズ,Brownsというレストランがいいよ。」と教えてくれました。
「場所はシャフツバリーアベニュー,SHAFTESBURY AVからチャリングクロスロード,CHARINGCROSS ROADにぶつかった所の左前か右前だよ。とにかくCHARINGCROSS沿いにある。」と言っていました。

街中に遊びに行くたびにそのレストランを探したのですが、一向に見つかりませんでした。ブライアンに電話して、もう一度教えてもらってもやっぱり見つからないし、近くのホテルに入って、コンシェルジュのおじさんにそのレストランの名前を告げて、この近くなんだけど知らない?と聞いても知らないと言われました。
家に帰って、ブライアンに見つからなかったよ、潰れたんじゃないの?と聞いても、この間行ったばかりだから、絶対にあるよと言われました。

結局、そのレストランはロンドン留学滞在中に見つけることができず(今になってみれば、なぜインターネットで探さなかったのか?と自分のことながら不思議に思いますが)、Brownsは次に来たときに行ってみようということにして、ロンドンを去りました。

2007年の夏にロンドンに行ったときも(今にしてみればなぜインターネットで探さなかったのか、と思うところですが)Brownsを探してみました。CHARINGCROSS沿いには結局見つからず、適当なパブで夕食を食べたのですが、その後、偶然違う通りの奥にそのレストランを発見しました。セントマーティンズロード,STMARTHINS ROADというCHARINGCROSから一本横に入った狭い道の一番奥にそのレストランがありました。でもこのときはロンドン滞在の最終日でしかも夕食を食べた後だったので、次に来るときに行こうと思って、ロンドンを去りました。

旅行に来ると、何かをやり残して帰ることがよくあります。
そうすることで、またいつか遊びに来る理由ができる、ということにしています。

このレストランを知ってから5年が経ち、ようやくBrownsに行ってきました。

STMARTHINS ROADは狭い道なので、このレストランは30人程度の規模のこじんまりしたパブ&レストランだと思っていたのですが、この道側から見た入り口は実は店の裏口で、反対側の大通りにある正面玄関に回ると、意外にもかなり大きなお店で、300人(少なくとも250人)は収容できそうなお店でした。(きっとブライアンはCHARINGCROSとその大通りを間違えていたんだと思いました)お店に入ると中はかなり混雑している様子で、「予約無いんだけど大丈夫?」と受付係に聞くと、30分ほどで入れると思うと言われ、少し外を散歩しながら待って、入店することにしました。土曜の夜ということもあったのですが、店内は大繁盛でした。
BROWNSはイギリス料理を出すお店で、僕は本日のスープ(とうもろこしのスープ)と28日間熟成したビーフステーキを注文し、兄はフィッシュ&チップスを注文しました。
よくイギリスの料理はまずいと言われるのですが、それは嘘だと思います。確かにきったないパブなんかに入って、フィッシュケーキなんかを注文すると、古くなって匂いの付いた油で揚げた激まずの料理が出てくることも稀にありますが、ロンドンに限ってはそれなりに美味しい料理を出すレストランやパブが沢山あると思います。なんといってもヨーロッパ第一位の都市なのだから、料理のレベルが低いわけがありません。(フランスやベルギーと比較することは出来ませんが…)

店内は照明が控えめに落とされていて、シックな様子なのですが、かなり大きな規模のレストランなのでがやがやしていて、雰囲気は割とカジュアルでした。昔、ブライアンに「スマートカジュアルな格好で行くんだよ。」と言われたのを思い出しました。
僕らが食べた料理の味はどちらも美味しく、値段も(物価が高いロンドンにしては)良心的で、総合的に満足できるレストランでした。照明が落とされていて、店内がかなり混雑していたので、料理の写真を撮れなかったのが残念です。

これで「ロンドンに美味しいイギリス料理を出してくれるなかなか素敵なレストランがあるから一緒に旅行に行こうよ。」とまたしても好きな女の子を誘うことができます。

"Browns" ウェブサイト
http://www.browns-restaurants.co.uk/index.php

2010年3月15日月曜日

Day45 三度(みたび)ロンドン!



マドリードに別れを告げ、再びロンドンへやってきました。
ロンドンにはいろいろな思い出があります。

まず2005年の1月末から3月初にかけて、6週間の短期留学プログラムに申し込んで、ロンドンで英語を勉強したことがあります。
このときのおかげで、苦手を通り越して嫌悪に近かった英語を(多少イギリス訛りだけど)なんとか話せるようになったし、イタリア人の友人とも知り合うことができました。その英語学校で知り合った世界中の人達といろいろな話をして、いろいろな価値観に触れたおかげで、人生に対する見方が変わったと思っています。英語の勉強はそこそこに毎晩のようにみんなで集まってパブで飲みはしゃいでいたけれど、このロンドン滞在は僕の人生にそれなりに大きな影響を与えました。(それが良い影響か悪い影響かどうかはまだわからないけれど)

ロンドンでの短期留学が終わった後、大学時代の友人(彼は僕のことを旅行のベストパートナーだと呼んでいて、僕もおおむね同意している)とロンドン中心部にあるピカデリーサーカスのエロス像の前で待ち合わせて、一緒にフランスとイタリアまでユーレイルパスというヨーロッパ内の列車に乗り放題のチケットを使って2週間ほど旅行をしました。今よりもずっと若く内気で世間知らずだった僕は初めて訪れたパリやミラノの街や人々に強い印象を受けたように覚えています。すべてが新鮮で輝かしい体験でした。

実はそれまで旅行なんて全然好きじゃなかった、というよりもむしろ積極的に嫌いだったし、とりわけ海外旅行は罰ゲームかなにかの類くらいに思っていました。そう意識するようになったのは2003年に父親とその友人達の集まりについて連れていってもらった中国旅行が原因だったのですが、上海では酔っ払いの中国人のおっさんが日本人だと言って絡んでくるし、九寨溝では物売りの連中が押し寄せて来て僕の行く手を塞ぐし、付いてきたガイドは意地汚く僕達から少しでも金を取ってやろうと躍起だったりで、この旅行のせいで、僕は海外旅行なんて二度と行くかと思いました。(ただ九寨溝と黄龍の景色は感動するくらい素晴らしかったです)本当に小さい頃にグアムに行った事があったのですが、この中国旅行がほぼはじめての海外旅行だったので、出鼻をくじかれたような思いでした。(まぁ初めてということもあってより過敏になっていたのも事実だと思いますが)
他にも海外旅行が嫌だったのは、まず言葉が話せないことと、なんとなく海外では差別を受けるんじゃないかと悲観的になっていたことと、食事が合わないのが苦痛だったことなんかが理由でした。

けれども、ロンドンに留学したことで外国語に対する抵抗感はまったくというほど無くなったし、大学時代に毎日パスタを茹で続けたことで、外国の食事と日本食を食べないことにも抵抗がなくなるくらいに慣れました。差別に関しては受けるときは受けるし、受けないときは受けない、それは国の文化的な問題でもあるが、それ以上に個人的なモラルの問題だし、差別的なことを他人に対してしてしまう人間はどこか精神的欠陥を抱えている可愛そうな人間だから許してあげようと、少し強引ですが、そう思ってやり過ごすことにしました。大学時代にグレートギャツビーを2度読んだおかげです。

時代が変われば空気も変わるし、人の考え方も変わるというやつの典型です。

とにかく僕はこのロンドン留学をきっかけに、旅行好きと自称できるほど旅行好きになったし、こうして世界一周旅行にも来ているわけなのです。

あと、2007年の夏にも再びロンドンを訪れました。
その旅行のベストパートナーの友人とまたしてもピカデリーサーカスのエロス像の前で待ち合わせたのですが、待ち合わせ時間を過ぎても、一向に彼はやってきませんでした。次第に雨が降り始め、夜は更に深まっていき、人々が足早に僕の前を歩き去り、遠くで野犬が吼え始め、木々が怪しげに枝を振るわせる中、僕は彼を待ち続けました。ここで会えなかったらもう会えないので、待たないわけにはいきませんでした。結局彼の乗った飛行機が遅延したことが原因だったのですが、電話の一本くらい寄こせって思いました。彼は呑気に「次からは15分待って来なかったら、待ち合わせ時間を1時間ずつ遅らせて、次の00分に待ちあうことにしような。」と言っていました。危うく2007年の夏にテムズ川から邦人男性の遺体が上がるところでした。

まぁそんな楽しげな思い出がロンドンにはいくつかあるのです。

2010年の冬(春)、三度ロンドンを訪れました。
やっぱりこの街はヨーロッパでは圧倒的にコスモポリタン(多文化都市)です。

三度目のロンドン。
特に何の予定もないのですが、何をしても、きっと楽しいと思います。

2010年3月13日土曜日

Day43 食わず嫌い

僕にも好き嫌いというものがある。

例えば、食べ物で言うと、キムチは食べられない。あとモズクもなるべく食べたくない。寿司についてくるガリもあまり好きじゃない。
逆にムール貝の白ワイン蒸しは大好きだし、ぺヤングソース焼きそばも大好きだ。ガリはあまり好きじゃないけど、寿司自体は(ほぼどのネタも)とても好きだ。
好きなお笑い芸人もいれば、嫌いなお笑い芸人もいるし、好きな映画も嫌いな映画もある。もちろん好きな女性のタイプと嫌いな女性のタイプもある。

好き嫌いがあるってことは人間誰しもが持っている当然の感覚だし、別にそれ自体悪いことじゃないと思っている。

という一応の弁明をした上で、僕はスペインのことがあまり好きではないということを書こうと思う。
(私はスペインのことが熱狂的に好きだ。スペインのことを悪く言う奴は決して許さない!という方は読まないでもらいたい)

世界をいくつかに分けると(これはかなり強引な区分けかもしれないけれど)、僕達の日本がある東アジアから、東南アジア、中央アジア、中東アラブ諸国、ロシア、東ヨーロッパ、西ヨーロッパ、北ヨーロッパ、アフリカ、北アメリカ、中央アメリカ、南アメリカ、オーストラリアなどがある。もちろんこの中に入っていない例えばオセアニア諸島の国々なんかもあるんだけど。
このざっくりとした区分けの中で、僕が一番好きなのが(日本を除いて)西ヨーロッパだ。
イギリス、フランス、イタリア、ベルギー、スイス、ドイツ、オランダ、ポルトガル、デンマーク、そしてスペインなんかが(いくつかの国は地理的に南ヨーロッパと呼ばれる場合もあるし、歴史的や政治的区分けによって多少異なってくることもあるが)西ヨーロッパの国々だ。

スイスやドイツ、デンマークなど、まだ行ったことのない国もあるが、基本的に僕はこの西ヨーロッパの国々に対して魅力を感じている。
イタリアには世界に名を馳せる一流ファッションブランドやエキゾチックカーがあるし、フランスにも世界に名を馳せる一流の料理やワインがある。イギリスには伝統的で格式高い王室があって、紳士の国にふさわしいゴルフやテニスといったスポーツも有名だ。ベルギーもオランダも素晴らしいところをあげようと思ったらとてもここには書ききれない。それに西ヨーロッパの国々はなんとなく文化的で洗練されていて、お洒落だ!と言えば肯いてくれる人の方が多いと個人的には思っている。僕はヨーロッパに対して憧れに近い(少し大げさかも知れないが)感情を持っているところが少なからずあると思う。

でも、スペインという国だけはどうしても好きになれない。
僕のスペインに対する印象は「西ヨーロッパ諸国の中で最も粗野な国」だ。

歴史的に見ても、スペインは南米にあった3つの文明(アステカ、マヤ、インカ)を滅ぼしているし(詳細はWikipedia『スペインによるアメリカ大陸の植民地化』参照)、南米の人々に過酷な労働を強き、それでいて疫病なんかが流行して人口が激減すると、今度は南アフリカから黒人奴隷を代替労働力として持ち込んだりもしている。時代が時代とは言え、スペインはめちゃくちゃなことを平然と(かどうかは少し主観が入るけれども)やっていた。

16世紀から17世紀にかけてのスペイン黄金時代も、国内の文化や政治を育て上げた結果というよりも、どちらかと言えば、まだ未開であった南米の発見とその地域からの富の収奪によって一時的に築かれたものだったし、その後の衰退にしたって、国内の経済を支えていたユダヤ人の迫害や改宗、ムスリムの徹底した排除や新興プロテスタントの弾圧などから起きた産業・経済基盤の弱体化が大きな原因となっている。

他の西ヨーロッパ諸国だって同じような侵略と征服の歴史を持っているかもしれないが、3つの文明を滅ぼすなんてことをやったのはこの国ぐらいじゃないかと思う。

でも僕だって歴史的な理由からスペインのことが嫌いになったわけじゃない。
むしろスペインに来てみて、なんとなくこの国は粗野な感じがするなぁと思って歴史を調べてみたら、やっぱり歴史的にも粗野なところがあったという順番だ。

路上で肩がぶつかっても誰一人として謝らないし、道を譲ることはあっても譲られることは(覚えている限りでは)ないし、レストランのウエイターは無愛想だし、ZARAの店員も無愛想だし、ホテルの受付係も無愛想だし、アトレティコマドリードのサポーター連中は昼間から酒を飲んで、酔っ払って、街中で大声で歌を歌っているし(中にはこちらに絡んでくる連中もいる)、スペインに来てからというものの、あまり気持ちの良い思いをすることがなかった。もちろん彼らだって別に僕らに気持ちよい思いをしてもらおうと思って生きているわけではないので、それはそれで一向に構わないのだけれど、それでもフランスでもイタリアでもフィンランドでもスウェーデンでも、何かしら、「やっぱりヨーロッパは良いなぁ」と思わせるところがあった。

スペインに来てから親切だなと感じたのは、今のところ空港のツーリストインフォメーションのおばさんとカンペール(という靴屋)の店員さんの二人だけだし、そのカンペールの店員さんにいたってはイタリアのシシリア出身だと言っていた。やっぱり、イタリア人だ!と思った。

と、ここまで書いてみたものの、ちょっと悪く言いすぎてしまった感は否めない。ごめん。

逆にスペインの好きなところ、良い所を書こうと思う。

まずスペインブランドのZARAとカンペールはかなり好きだ。特にカンペールは大好きだ。
旅行会社に勤めていた時によく履いていたお気に入りの革靴はカンペールのものだし、今回の旅行でもカンペールのスウェードの革靴を一足買った。流石は本拠地スペインだけあって、日本で買うよりもかなり安く買えた。カンペールは細部のデザインにまで入念に凝っているところが好きだ。(例えば今回買ったスウェードの靴もソールにまでデザインがあしらわれている)もし好きな靴のブランドは?と聞かれたら、迷わずにカンペールと答えられると思う。

あとはワイン。スペイン産のワインも結構気に入っている。スパークリングワインのカヴァも美味しいし、テルモ・ロドリゲス氏のワインはどれも好きだ。
食事にしたって、スペインのエル・ブジは世界で最も予約困難な店として有名だし、その料理は(もちろん食べたことはないが)見るからに洗練されていて、粗野という言葉の対極にあるような感じがする。エル・ブジの影響もあって、近年ではスペイン料理が世界を席巻しているといっても過言じゃないし、実際、マドリッド・フュージョンという世界最大の料理のサミットも毎年スペインで行われている。死ぬまでに一度は行ってみたいと切望しているイベントの一つだ。

スペイン料理の定番、パエリアも大好きだ。
今日だって昼食にイカ墨のパエリアを食べてきた。

どの国にも良い所と悪い所、好きな所と嫌いな所があって、それはそれで仕方が無いことだと思う。

旅行者としていろいろな国を訪れると、できるだけ良い思い出を残したくて(嫌な思い出より良い思い出の方が良いに決まってる)、なるべくその国のことを好きになろうと無意識のうちに努力してしまうふしがあって、それが時として疲れに変わることがある。新しい職場で周囲に良い顔ばかりしているうちに、結局ストレスが溜まってしまうというのに似ている気がする。長い旅行をしていると、中には好きになれない国の一つや二つも出てくるものなのだ。そういう時には素直に嫌だと認めてしまってもいいんじゃないかと今回は思った。

「良い面だけを見て、良いことだけを考えるようにするんだ。そうすれば何も怖くない。悪いことが起きたら、その時点で考えるようにするんだ。」と僕は渡辺昇に言ったのと同じ科白を繰り返した。

でもやっぱりこういう批判的な日記を書くのは僕としてもあまり気持ちの良いものじゃないし、嫌な思い出よりは良い思い出を沢山持って日本に帰りたいと思っている。

毎日の(遅れることもあるが)ブログ更新も少し疲れてしまったので、スペイン滞在中は(といってもあと2日だが)、どこかの大御所漫画家のようにブログの更新を休もうと思う。

というわけで明日はブログを更新しません。

2010年3月12日金曜日

Day42 再びヨーロッパへ


マラケシュを出発してマドリードにやって来ました。
再びEU入国です。

やっぱりヨーロッパは居心地がいいなと感じました。

モロッコの雑多な雰囲気やモロッコ人の呆れてしまうほど強引な商売術も面白かったけど、ヨーロッパは押し付けがましいところがなく、個人主義的で、人と関わっても関わらなくてもやっていけるところが好きです。

ヨーロッパでなら暮らせるけど、モロッコでは暮らせないなと思いました。

日本の関係希薄な社会に慣れてしまっているせいか、モロッコの顔と顔をつき合わして会話をする風習には最後までなじめませんでした。

一度、マラケシュのメディナ(旧市街)でハマムと呼ばれる公衆浴場のようなところに行ったとき(ここはマッサージや垢すりをしてもらうところでもあります)、マッサージを待っているモロッコ人男性客がいたのですが、ちょうど全てのスタッフが他の客についていて、誰一人手が空いていず、かなり長い間待たされていました。そのとき僕は床に寝そべって(ベッドの上ではなく、タイル敷きの床に水揚げされたマグロみたいに寝そべっていました)垢すりをしてもらっていたのですが、長時間待たされてしまったこのモロッコ人男性客が突然怒り出して、スタッフの1人を相手に口論を始めたことがありました。
アラビア語で話しているので内容はまるでわからなかったのですが、顔と顔を文字通りつき合わせて(その間にはシャープ製の薄型液晶テレビですら入り込む余地がないほどでした)かなり激しい口調で言い争っていました。怒る方も、怒られる方も一歩も引かず、取っ組み合いに発展するんじゃないかと心配になるほど(このとき僕は釣った魚を締めるかのような高速マッサージを受けていたので、取っ組み合いになったら確実に巻き込まれていました)激しく言い争っていたのですが、ふと怒っていた方の客が笑顔になって、怒られていたほうの客もまた笑顔になって、肩を叩きあいながら和解していました。モロッコ人の心は(駒ケ岳山頂の天気のように)読めません。

その点ヨーロッパはわかりやすくていいです。
怒り出す前には怒り出すぞというサインがあるし、笑うときも笑い始めるぞというサインがなんとなくですがあります。
ここまではやっても大丈夫という境界線が比較的はっきりしていて、また日本とも似ているので、あまり神経を使わずに過ごすことができるんだと思います。

あとヨーロッパはマドリードとロンドンの2都市だけとなりました。
ロンドンを離れたら、当分の間、ヨーロッパに立ち入ることはないような気がします。
あと1週間、ヨーロッパを満喫したいところです。

2010年3月4日木曜日

Day35 最も(女性が)美しい町

英会話の先生が教えてくれた世界の美女都市ランキングによると、ストックホルムが第1位だそうです。
ちなみに、前に訪れたアムステルダムは第10位でした。
http://www.travelooce.com/top-cities-most-beautiful-women.shtml
そう聞いていたので、一応期待していたのですが、世界第1位だなんて、信じられないといった感想です。
(北欧なので)たしかに綺麗な人はいるのですが、飛びぬけてこの街の女性達が美しいかと言うと、別にそんなことはないです。(失礼極まりないですが…)パリとかロンドンとか東京の方が綺麗な人が多いと思います。まぁパイも大きいので。

ストックホルムは北欧では一番大きな町なのですが、それでも人口は約75万人と100万人にさえ達していません。こんな寒く雪の多いところには、そんなに人は住めないのかもしれません。北欧はサッカーもそんなに強くないし、やはり西ヨーロッパと比較してしまうと、国や都市の規模では歴然たる差が出来てしまいます。また、西ヨーロッパ諸国には陽気だったり、スノッブだったり、頑固だったりと個性と文化を持った街ばかりなのに、ストックホルムはなんだかこれと言った特徴の無いような印象です。
現地に住む日本人の方のホームページを読んだら、スウェーデン人は実はどこまでも真面目でどこまでもダサい、外国にはH&MやIKEAなどお洒落なイメージがあるのだが、実際のスウェーデンはそうではないというような記述もありました。
僕はストックホルムに来て、日本で持っていた北欧のイメージと実際の町から感じた印象とが違うことに少し戸惑いさえしました。

でもなぜか、「北欧」という言葉にはなんとなく格好良い響きがあります。
北欧家具、北欧雑貨、北欧デザイン、なんて聞くとそれだけれ素敵な感じがするし、スウェーデン発のファストファッションのH&Mは世界的にも大人気です。(でも銀座のH&MのほうがストックホルムのH&Mよりお洒落です)IKEAが南船橋にオープンしたとき(僕は埼玉に住んでいたのですが)わざわざ武蔵野線に乗って食器とか家具を買いに行きました。

このイメージの乖離(僕だけかもしれません。ストックホルム好きの方すみません)の原因はなんなんだろうと思って、ネットで調べてみると、原因がわかりました。

それは「北欧神話」という物語です。

北欧神話は、どうもスカンジナヴィアがキリスト教化される以前の宗教の物語で、おおざっぱな内容としては、巨人族と神々がいて、最終的に巨人族と神々が戦争をして世界が滅びちゃったよという話です。最後に滅びるというあたりが滅びの美学的価値観を生み出し、北欧の人々の黙々とした姿勢に影響を与えているとか与えていないとか。

話のポイントは次です。
北欧神話の最高神をオーディンと言い、世界が滅びる最終戦争をラグナロクと言います。
もうわかると思います。これはファイナルファンタジーの世界です。僕達「ぎりぎりゆとり世代じゃないよ世代」は子供の頃から超名作ロールプレイングゲーム、ファイナルファンタジーを通して、北欧の精神を、そして登場するめちゃめちゃ格好良い召還獣達を通して、北欧=格好良いという刷り込みを受けていたのでした。



という冗談はさておいて、今日はストックホルムの国立美術館に行きました。
ここは、16世紀ごろから19世紀末ごろまでののヨーロッパ絵画とスウェーデン絵画の展示、17世紀から現代までのスウェーデンデザインプロダクツ(家具とか家電とか。他にも飛行機のロゴなんかも)の展示があります。
絵画は各時代、各地域の分類ごとに展示されていて、例えばイタリアルネッサンス、オランダ黄金時代、フランス印象派といった感じになっています。展示室の数、展示点数も多すぎず少なすぎずでちょうど良かったです。ルーブル、オルセー、ライクスに続いて、ここの美術館は僕個人的にはかなり高評価でした。
レンブラントの作品が7点くらいあったのが良かったです。ゴッホが1点しか(しかもかなり小さいサイズのもの)なかったのは、少し残念です。あとフェルメールが1点でもあれば、世界的にもかなりレベルの高い美術館になると思います。(何を偉そうにという感じですね)

この美術館はストックホルムに来たら絶対に行くべきところの一つに確実に入ります。オススメです。

あと、美味しいレストランを見つけたので、事細かに書きたいのですが、もう夜遅いので、やめます。ミシュランから3年連続、星(いくつか知りませんが)を送られたみたいです。
Lisa Elmqvistと言うところです。

2010年3月3日水曜日

Day34 塩分濃度


今日はストックホルムにあるノーベルミュージアムに行きました。
ノーベル賞に関するミュージアムで、そんなに大きな施設ではないのですが、歴代のノーベル賞受賞者のパネルや、アルフレッド・ノーベル氏に関するVTR、資料などが展示されています。オバマ米大統領のパネルも展示されていました。

日本人では
1949年/湯川 秀樹/物理学賞、1965年/朝永 振一郎/物理学賞、1968年/川端 康成/文学賞、1973年/江崎 玲於奈/物理学賞、1974年/佐藤 栄作/平和賞、1981年/福井 謙一/化学賞、1987年/利根川 進/医学・生理学賞、1994年/大江 健三郎/文学賞、2000年/白川 英樹/化学賞、2001年/野依 良治/化学賞、2002年/小柴 昌俊/物理学賞、2002年/田中 耕一/化学賞、2008年/下村 脩/化学賞、2008年/益川 敏英/物理学賞、2008年/小林 誠/物理学賞、2008年/南部 陽一郎/物理学賞
の16名が受賞しています。

パネルは天井に貼られたレールにぶら下げられて、ランダムに回っているので、残念ながら日本人受賞者のパネルを見つけることはできませんでした。

ささっと見て、ブックショップでノーベルミュージアムの刻印入り鉛筆を買いました。買った鉛筆を使って、もう一度、中学校の理科から勉強をやりなおして、いつの日かノーベル賞を受賞したいと思いました。


このミュージアムに行ったのは、実はノーベル賞に興味があったからではなく、ガイドブックに、ここのミュージアムカフェでノーベル賞授賞式の晩餐会で出されるのと同じアイスクリームを食べることができると書いてあったので、ミーハー的感覚で、このアイスクリームを食べに行ったのでした。
見学後、ミュージアムカフェで昼食を食べ、食後にそのアイスクリームを兄と一つずつ注文したのですが、意外と量が多く、食べ終えるのに一苦労でした。味は…カシスとバニラだったのですが、イタリアで食べるジェラートの方がはるかに美味しかったです。僕はこのノーベルアイスクリームにノーベル残念賞を与えることにしました。

驚きは、このアイスクリームではなく、ここで注文したオレンジジュースです。メニューに「ソフトドリンク25クローネ(約300円)」と書いてあったので、オレンジジュースを注文したのですが、運ばれてきたオレンジジュースがピッチャーになみなみとだいたい1リットルは入っていました。えぇ、これって4人分じゃないの?注文間違えたかなと思って、「これって1人分ですか?」と聞くと、店員さんは訳がわからないような表情で「ええ、そうだけど。」と言います。「あぁそうですか、ちょっと量が多いなって思ったんだけど、普通のサイズなんですね。」と言うと、当たり前のように「そうですよ。」と言われました。これで25クローナとは、お得用サイズにも程があると思います。ストックホルムのノーベルミュージアムに行くことがあれば、オレンジジュースがオススメです。地球の歩き方の読者投稿の欄に「ここのオレンジジュースは量が多くて飲み応えあり。お得です。」って投稿したら、載せてくれるだろうか。

まだあります。ここのミュージアムカフェで使用されている椅子の裏を覗いてみると、そこには歴代受賞者達のサインが書かれているのです。さすがに自分の椅子しか覗けないのですが、僕の座った椅子の人のサインは誰のだかまったくわかりませんでした。オバマさんだったら「当り、アイスもう一つ」とかあるのかな。

そこから、ストックホルムの海沿いを歩いて、ホテルに戻ったのですが、ストックホルムは確実にヘルシンキより寒いのに、海が凍っていないのです。
どうやら、塩分濃度の違いによるものだと思うのですが、ヘルシンキの海があんなに氷で覆われていたのに、こっちはまったく氷に閉ざされていないなんて、なんだか不思議でした。フィンランドはバルト海の奥まったところに位置し、ヘルシンキ湾の塩分濃度は0.5%以下なんだそうです。やはり禁断のフィンランドです。
きっとスウェーデンとフィンランドの国力の違いもこの凍らない海による地理的条件が大きく影響してるんじゃないかって思いました。

でも僕はやっぱりフィンランドの方が好きです。
昨日、友人がムーミンのスナフキンの名言集というサイトを教えてくれたので、ちょっと覗いてみたら、こんなことが書いてありました。

「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ。」

スナフキン先生、かっこよす。

Day33 ワンダーランド、フィンランド!

日本で2ちゃんねるサーバーがサイバーテロ攻撃を受けているころ、フィンランドで僕は目を覚まし、サウナに入ったり、ジョギングをして、11時にホテルをチェックアウトし、トラムに乗って、ヘルシンキ市内にある寿司レストラン「夢」で昼食に本格日本式、寿司を食べた後、バスに乗ってバンター空港へ向かいました。

空港バスの値段、トラムの値段、美術館の入場料など、地球の歩き方に書いてある値段より、ほぼすべてにおいて1割程度値上がっていました。

15:35発のブルーワン航空に乗って、アーランダ航空に着いたのが15:35(1時間時差があります)、そこからまたバスに乗って(運賃はもちろんガイドブックより1割ほど高い)ストックホルム市内に17:00頃到着しました。
ストックホルムはヘルシンキより南にあるにも関わらず、ヘルシンキよりずっと寒く、明日の最高気温が-4度、最低気温が-16度になっています。


浜松と言う僕の故郷は年間を通して雪が降ることなんて滅多になく、年間を通して温暖な、日本のリオデジャネイロと言われるとか言われないとかいう町なので、この寒さはかなりこたえます。

今日は移動日だったので、特に書くこともないのですが、ストックホルムに到着して気づいたことを一つ書きます。

ストックホルムの人達は(西ヨーロッパ諸国はどこでもそうですが)、車が来ていなければ当然のように信号を守りません。赤信号でも車さえいなければ、どんどん渡ります。他のヨーロッパの国もそうでした。

でもフィンランドの人達だけは、信号をきっちり守っていました。
最初、フィンランドで信号待ちをしているときに、逆に違和感を覚えたほどでした。
そういうささいなところにも国民性が現れているんだなと感じました。
やっぱりフィンランド人は真面目で、礼儀正しく、親切な人が多いんだと思います。
初めてフィンランドを訪れたのですが、まったく未知の土地だったフィンランドのことがかなり好きになりました。

これからはフィンランド製のものをひいきにしようと思います。

また、旅行中、マナーの良い行動を心がけ、日本人の礼儀正しさを崩さないようにしようとも思いました。

2010年3月2日火曜日

Day32 信頼の上に成り立つ国家

 
今日は世界遺産のスオメンリンナ島へ行ってきました。
スオメンリンナ島はヘルシンキの南東1キロほどの距離に位置する4つの小さな島々からなる島で(4つの島、1つずつには名前がないようです。)かつてはフィンランドの南海岸を守る要塞として機能し、島の海岸線には立派な防御壁が張り巡らされ、砲台が点々と配備されています。スウェーデン・ロシア戦争やクリミア戦争、フィンランド国内戦争などで重要な舞台となったそうです。
でも北欧の歴史なんて、残念なくらいに知らないので、あまりイメージが沸きません。高校生の時にちゃんと勉強しておけばよかった。



スオメンリンナ島へはヘルシンキのマーケット広場と呼ばれるところからフェリーに乗って15分くらいで到着するのですが、このフェリーがなかなか面白い体験でした。
この時期のヘルシンキの海は凍りついていて、一応砕氷船で航路は作ってあるのですが、それでもかなり大きな塊の氷(大きいもので2メートル四方くらいはある)が航路のところどころに漂流しています。船の幅よりほんの少しだけ広い航路をフェリーが進んでいくのですが、航路上に漂流している氷塊をものともせず、乗り上げてばりばり進んでいきます。
おそらくこのフェリーの船底にも氷を砕くカッターが付いていて、氷塊に乗り上げては船の重さとカッターの刃で氷塊を粉砕しながら進んでいました。その証拠に船の前方には2メートル以上もある大きな氷塊が沢山漂流しているのですが、船の後方の航路を見ると、20センチ程度に砕かれた小さな氷の塊しか浮いていませんでした。
往復3.8ユーロ(500円)と安い運賃にも関わらず、なかなか面白い航海でした。

スオメンリンナ島から戻ってきた後、兄がネットで見つけた店に行きたいと言うので、その店に向かって歩いていたのですが、かなり寒かったので、地図を適当に見て、適当な方角を目指して歩いていたら、迷子になってしまいました。
道端で地図を広げていると、フィンランド人のおじさんが「大丈夫?」と声を掛けて来てくれて、助け舟を出してくれたのですが、道を教えてくれた後に「君たちはラッキーだよ。ちょうど僕らもこれから同じ方向に行くから。」と言って、奥さんが運転する車に乗せて近くまで連れて行ってくれました。

普通、道を教えてくれるだけならまだしも(もちろん有り難いことなのですが)、同じ方面だったとはいえ、車に乗せてくれるなんて、なかなかできないことだと思います。
見ず知らずのアジア人なんて、何しでかすかわからないという怖さもあると思うし、ましてや奥さんが運転する車には怖くて普通の感覚じゃ乗せられないと思うのですが、フィンランド人はそんなことを当然のことのようにやってのけるのです。

二日前に同じように道端で地図を見ていたときも、後ろから自転車に乗ったおじさんがやってきて、道を丁寧に教えてくれました。
この国では基本的に人々はびっくりするぐらい親切です。

そのフィンランド人夫婦の車から降りた後、兄と「きっとフィンランドでは人々は信頼の上で暮らしているんだね。」という話をしました。

フィンランドは歴史的には数百年間にわたってスウェーデンとロシアの支配下にあり、最終的に独立したのは1917年という比較的新しい国家なのです。
こんなに長い間弾圧されていた国の国民が、こんなにものびのびと暮らして、他人を信頼しあっているなんてにわかに信じられません。
でもきっと、長い間支配されていた弱い立場にあった国だからこそ、他人に優しくできる人達なんじゃないかって思います。

痛みを知り慈しみを知るということなんじゃないかなと思いました。

Day31 美味しいヘルシンキ

今朝は早起きをしてサウナに入りました。
泊まっているユースホステルの7階にあるサウナが朝6:30~9:00まで無料だというので7時に行きました。
地球の歩き方曰く「フィンランド人の3人に1人はプライベートサウナをもっている」らしく、フィンランドではサウナが大変普及していて、生活に欠かせないものになっているのだそうです。
フィンランド式では、ただサウナに入るだけでなく、新陳代謝を上げる効果があると言われるヴィヒタと呼ばれる白樺の枝葉を束ねて作ったハタキ状のもので体を叩いて、さらに体を温めるそうです。
そしてサウナで温まった後は氷の海に飛び込んで、火照った体を冷やすのだそうです。

本格北欧式サウナ、楽しみです。

と思って、サウナに行ったのですが、日本のスーパー銭湯にあるサウナとどこ一つ変わらない、まったくもって平凡なサウナでした。ひどくがっかりしました。
先の日記にも書いたように、僕はサウナなんてこれっぽちも好きじゃないので、10分くらい中にいて、そそくさと出てきました。
ユースホステルのサウナだからだと思うのですが、ヴィヒタも買えず、何一つ本格北欧式サウナ的要素を味わうことはできませんでした。もちろんユースホステル内なので、飛び込む凍った海もありません。凍った海があったとしても飛び込みわけはないのですが。

フィンランドに来た目的の一つに、ロヴァニエミという北極圏まであと数キロという町に行って、オーロラを見に行ってみよう、というものがあったのですが、いろいろあって断念しました。
お金の問題とスケジュールの問題と天候の問題と兄の体調の問題と気分の問題です。複合的要因というやつです。
行き当たりばったりの計画で、ヘルシンキに着いたら現地発着のツアーを探そうと思って、ヘルシンキの旅行会社に行ったら、そんなツアーはないからネットで飛行機を予約してく勝手に言ってくれと言われ、ホステルに戻ってネットで予約しようと思ったら間際だからなのか、航空券が意外と高く、スケジュール的にも少ししかロヴァニエミに滞在できないようなフライトしかなかったので、また来年行こう!ということにして辞めにしました。どこかで1週間くらいの休暇を作って、ロヴァニエミ3泊、ヘルシンキ2泊の5泊7日間、禁断のフィンランド、魔法のオーロラツアーを組もうと思います。

でもロヴァニエミに行けなかったのは、どうやらそれなりにショックだったらしく(お金を出して強行スケジュールを断行すれば行けたので)、その反動で旨いものを食べに行こうということになりました。

昨日、ヘルシンキの街を歩いていて発見した、最高に良いロケーションでモダンデザインを店内に配した(外から見た感じ)素敵なレストランがあったので、そこに行こうということになりました。
入店する前にメニューを見て、料理と料金をチェックしたかったのですが、そのお店の前にはメニュー表が出ていませんでした。兄と二人で、入るかどうしようか迷っていると、素敵な感じのフィンランド人夫婦がやってきて、「何を迷ってるんだい?」と聞くので、「入る前にメニューを見たくてね、始めて来るもんだから。」と言うと、「メニューなら中で見れるよ。Don't be shy!!」と言われました。扉を開けてくれたので、中に入ると、外から見た以上に高級な様相で、ちょっと高すぎるレストランかなと不安になりました。でもメニューを見せてもらうと、高くても一人50ユーロ程度に収まるメニュー構成だったので、ここで食事を取ることに決めました。(もっとも一度入ってしまった以上、小心者の僕はよほどの覚悟がないと出られないのですが…)

お店の名前はTEATTERIと言います。
http://www.royalravintolat.com/teatteri/ 

中はカフェスペースとバースペースとレストランスペースに別れていて、バーから入ることも、レストランから入ることも出来ます。僕達はバー側のドアから入って、バーの中を抜けてレストランへ回ったのですが、レストラン側から入るとすぐ右手に立派なクロークがあります。コートを預けて、店内に入ると、予想以上に立派です。

こんな感じ。


僕は前菜にロブスタースープとフォアグラ白身魚のムース、メインに牛肉のウェリントン風ステーキ、一緒にトスカーナの赤ワインを注文して、兄はシーザーサラダと鶏肉のローストとどこかのロゼワインを注文しました。

こんな感じです。

 

  



僕が注文したロブスターのスープなんかはデミタスカップに入って出てくるお洒落具合。見た目はもちろんのこと、味も抜群でした。

ワインを1杯、コーヒーを1杯飲んで二人で90ユーロ(僕が50、兄が40)だったのでまぁまぁお得な気がします。
よく北欧は物価が高いと聞いていたのですが、決してそんなこともない(もちろん他のレストランやホテルの値段なんかも)と思います。

これでまたしても、ヘルシンキに良いレストランがあるから、一緒に旅行に行かない?と女の子を誘うことができます。

2010年2月27日土曜日

Day29 ミラネーゼ


 ミラノにやってきました。
が、滞在は1泊だけです。
ミラノの友人には今回は会えません。仕事でドイツにいっているそうです。
ミラノの友人はニコロという名前の男なのですが、彼ともルカと同じくロンドンの英語学校で知り合いました。でも彼はルカとはまた違ったタイプのイタリア人で、まぁ早い話がルカは子供(ガキ)でニコロは大人ということなんですが、ニコロは誰に対してもジェントルマンで道の角に差し掛かると、すっと体を引いて「I go after you.」と言ってにこっと微笑みます、みんなでエレベーターに乗る時、レストランに入る時、とにかくいろんな場面ですっと体を引き、あるいはさっと扉を開けて「どうぞ」と言って微笑むのです。
くるくるしたパーマのかかった北イタリア人特有の髪と顔つきで身長も高く、絵に描いたような好青年(今では32歳くらいになっていると思いますが…)です。
当時20歳だった僕は彼の洗練されたヨーロッパ的な仕草から、西洋的に、男はいかに振舞わないといけないのか、ということを学び取ろうと思って、よく観察したものでした。
でも東洋人の顔と言語体系的に限界があるということは後々になって痛感するのでした。


とにかく仕事じゃあ仕方が無いので、今回はニコロと恋人のビビ(まだ付き合っていればですが)に会うことを諦めて、ミラノ滞在を1泊だけに減らし、ミラノの町をさっと見て回るだけにしました。

ミラノに着くと街行く人たちのお洒落度がぐぐっと上がります。
イタリア発の高級ブランドもミラノに拠点を置いていることが多いです。ミラノコレクションも毎年開催されています。
ミラノのお洒落度合いを100とすると、ローマが50、フィレンツェが25、ペルージャが15くらいだと思います。ちなみに東京は中年サラリーマンを封殺すると90くらいです。秋葉原は違うベクトルで2500くらいです。浜松は10くらいです。
そう、ミラノ(だけじゃなく、パリもそうでしたが)ではお洒落は若者のものではなく、おっさん達のものなのです。ミラノを歩く若きミラネーゼ達のモードなファッションも格好いいのですが、おっさん達のシックでエレガントなファッション、そして仕草がとにかく格好いいんです。特にミラノドゥオーモの北東にあるポンテナポレオーネという通りに入るとジローラモ氏顔負けの中年ミラネーゼ達がモデルのような娘?なのか若い女性を連れていたり、いかにも金を持っていそうな中年シニョリーナを連れて、超高級ブランド店の中に消えていきます。若い人たちもいつかはああいう中年の渋いファッションをしようと彼らを目標にしているようにも思えます。日本ではああはなりたくないなということの方がどちらかと言うと多いような気がします。笑

ジローラモ氏はナポリの出身なので、典型的な南イタリア人の顔をしています。
ニコロが前に教えてくれたのですが、南イタリアの人たちは昔からイタリア半島に住んでいた人たちで、北イタリアの人たちはあとからドイツやからやってきた人たちなんだと言っていました。南イタリア人は陽気で昼真っからワインを飲んでだらだら暮らしているのに対し、北イタリア人は一生懸命働いている、南イタリア人は小男が多く、仕草も安っぽく胡散臭い感じ(具体的にこんな感じ、とやって見せてくれたのですが、ロードオブザリングのゴラムみたいでした)なのに対し、北イタリア人は剛健で体も大きく、がっしりどっしりしてるんだよ、と、これまたにこっとしながら教えてくれました。確かになんとなくわかります。

この日はブレラ絵画館でマンテーニャの「死せるキリスト」を見て、ドゥオーモまで歩き、昼食にパニーノを食べ、市内をぶらぶら歩いて、道行く人たちを眺め、ミラネーゼに影響された兄がプラダスポーツのサングラスを買って、ジェラートを食べながらホテルまで戻りました。

イタリアはやっぱり何度来ても新鮮な国です。
今度来る時はまだ行ったことの無いナポリと南の海岸沿いの町に行ってみたいと思います。

次は北の閉ざされた大地、スカンジナビアの国々です。
健康ランド、禁断のフィンランドの本格北欧式サウナ、楽しみです。

Day28 イタリアの絵画について


ブリュッセルのベルギー王立美術館から始まって、今回の旅行ではかなりの量の絵画を見ました。
ベルギーではフランドル派の絵画を、アムステルダムではオランダ黄金時代の絵画、レンブラント、フェルメール、フランス・ハルス、他にもフィンセント・ファン・ゴッホの作品を、パリのルーブル美術館では西洋絵画の一連の流れとフランス絵画の一連の流れ、バルビゾン派、オルセー美術館では印象派、後期印象派などを、ポンピドゥー文化センターでは現代美術の流れと最新アートなどを見てきました。

フィレンツェにはイタリアを代表するウフィッツィ美術館があります。

ウフィッツィ美術館にはメディチ家から寄贈された初期ルネサンス時代から続くイタリア絵画を中心にイタリア美術史にとって重要な作品の数々が展示されています。
最も有名な作品はおそらく、ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」か「プリマヴェーラ」です。僕はあまり好きじゃないのですが、とにかく有名な作品です。
イタリア絵画史における重要人物を古い順に挙げていくと、中世ゴシック様式のジオット、アンブロージョ、初期ルネサンス様式のフラ・アンジェリコ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、マンテーニャ、ボッティチェルリ、盛期ルネサンス様式のレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、マニエリスムのラファエロ、バロック様式のカラヴァッジョなんかがいます。
どれも中学校の美術の教科書に載っているような、有名な作品を描いた人たちです。

けれども、僕はマンテーニャの一部の作品とダ・ヴィンチの一部の作品、カラバッジョを除いて、ほとんどのイタリア絵画を好きになれませんでした。

イタリアの友人達のことは大好きだし、イタリアの食事も大好きです。イタリアンブランド、特にプラダとミウミウも好きです。でもイタリアの宗教色が強すぎる芸術だけはどうしても好きになれないのです。
イタリア人はあんなにもいいかげんでで陽気で愛着溢れる人達ばかりなのに、堅牢なカトリックの歴史がイタリアにあるのか、不思議でなりません。

ここにはもう宗教画しかないんじゃないかってくらい、宗教画ばかりで、しかも人気のあるテーマはだいたいいくつかに絞られてくるのか、キリストの誕生の場面と十字架にかけられる場面、三位一体の絵画ばかりです。
他にも三賢王の礼拝だとか、十字架を担ぐキリストだとか、最後の晩餐だとか、キリストの足に香油を塗るマグダラのマリアだとか、他の場面の絵画もたくさんあるのですが、とにもかくにも宗教画、宗教画しかありません。

カトリック教会の総本山だから仕方が無いのですが、これっぽっちもキリスト教徒でない僕にとってはうんざりする以外にできることがありません。
その点、フランスとオランダは良かった。なんていったって、人間の生活について描いてあるんだから。

明日、ミラノにあるマンテーニャの作品を見たら、この旅行中はもうイタリア絵画は見ないようにしようと思います。

アリデヴェルチ。イタリア絵画。

2010年2月26日金曜日

Day27 フィオレンティーナ


過去に1度、フィレンツェを訪れたことがあるのですが、この時の僕はまだあまりにも若く、内気で控えめな青年だったため、夜、一人で素敵なレストランに入って、赤ワインを飲みながらフィオレンティーナを食べたり、昼間、一人で美術鑑賞を楽しんだり、ドゥオーモ広場に面した小洒落たカフェでコーヒー片手に読書をしながら行き交うイタリア人達を眺めて、過ぎ行くゆったりとした時間を楽しむなんてことができませんでした。
2回あった夕食はどちらもマクドナルドで済ませ、昼食にはお世辞にも美味しいとは言えない切り売りのピッツァを食べ、日中は少しだけ外を散歩したけれど、いくつかの名所を見た後、すぐにホテルに戻って、日本から持ってきたノートパソコンを開いて、ネットサーフィンをしたり、DVDを見たりして、時間を潰してしまいました。今思えばかなり苦い思い出です。
後になって、このときの失敗を繰り返さないために、僕は一人で素敵なレストランに入る練習をしたほどでした。

このときもペルージャの友達に会いに来ていて数週間をペルージャで過ごした後、ミラノから飛行機で日本へ帰るまでの間の数日間を一人で過ごさないといけなかったので、なんとなく有名なフィレンツェに立ち寄ったのでした。
ホテルに引きこもってしまったのは僕が内気だったせいもあるのですが、それと同じくらいフィレンツェの街も僕に対して冷たかったように感じました。人々はなんとなく無愛想で、足早に道を行き、寄ってくる連中はといえば、怪しげな客引きや物売り、募金活動の勧誘屋や物乞いだけでした。
このときは、ペルージャに戻りたい、ペルージャには友達も家族も美味しい食事もワインだってなんだって揃ってたんだからって何度も思いました。

今回もミラノからヘルシンキへ行く飛行機に乗る間の数日間をフィレンツェで過ごすことにしました。
一応ウフィッツィ美術館とアカデミア美術館を見ておきたかったというのがフィレンツェ滞在の主だった理由です。

でも、フィレンツェに到着した日は、6月の長い雨に打たれた後の地面のように体が疲れて重く、だるくて一歩だってホテルの外に出る気が起きませんでした。結局またしても、夕食は近くのマクドナルドでテイクアウトをして、ホテルの部屋で食べました。
なんだかフィレンツェが僕に意地悪をしているように思えました。この街は僕のことを歓迎していないんだ。なんだって、この街に来るたびに体調が悪くなったり、気が滅入るようなことが起こるんだ!って。

それでも、今日になると悪かった体調もいくぶんか戻り、日中は兄と二人で昼食を食べてからウフィッツィ美術館に行きました。
だけどもイタリアの美術館ってどこも宗教画しかないから面白みってもんがないです。

ウフィッツィ美術館を出た後、ジェラートを食べながら街を歩き、小さくて可愛らしい店を見たり、お土産物屋の屋台を冷やかしながらホテルに戻りました。

ホテルに戻ると、今度は兄がダウンしました。
兄は体調が悪く、夕食はいらないと言うので、一人で夕食を食べにでることにしました。
ここぞとばかりに、数年前に出来なかった、一いかにも一人では入りにくそうなレストランに入って、ワインを飲みながら旨いものをたらふく食べてやろうという気が起きました。日中、下見しておいたいかにも一人では入りにくそうなレストランへ足早に向かいました。
これはフィレンツェに対する僕のささやかな復讐です。

IL LATINIというレストランに行きました。
このレストランはフィオレンティーナが有名なレストランで、この日は地元の人や観光客でごった返しでした。レストランに着くと、すでに入り口に人が溢れていて、中へ入っていく人や外でタバコをふかしている人、入り口近くのバーカウンターでお酒やコーヒーを飲んでる人など、いかにも地元の人気店といった様子です。
「一人だけど、席座れる?」と聞くと「一人?」と聞かれて「そうだよ。」と言うと奥へ続く通路の脇の角の席へ案内されました。6人がけの少し大きなテーブルで、すでに地元の人らしき客が二人席に着いていました。どうやら相席になるようです。先に座っていた客に「ボナセーラ」と言って、僕も席に座って、メニューを貰いました。
さすがに一人で1kgもあるステーキは食べられないので、豆とトマトのスープと牛ほほ肉の赤ワイン煮込みを注文しました。ウエイターのおじさんが、テーブルにおいてある、キアンティクラシコというワインを指差して「ワイン、飲んでいいからね。」と勧めてくれるので、「ありがとうございます。」と言って、一人でワインをコップに注いで、勝手に飲みました。
フィレンツェでは適当にワインを飲んで後から目分量でだいたいの料金を請求してくるらしいという情報を兄から聞いていたので、きっと、あとで適当に勘定してくれるんだと思って、テーブルに置いてあるワインを数杯飲みながら、食事を食べました。
途中で、僕の向かいの席にイタリア人の男が、彼もまた一人で食事に来たのですが、座って、常連客なのか、メニューも見ずになにやら適当に注文していました。
イタリア料理のメニューには大まかに言うと、アンティパスティと呼ばれる前菜とプリモピアッティ(第一の皿)と呼ばれるパスタやリゾット、ニョッキなどの料理とセコンドピアッティ(第二の皿)と呼ばれる肉料理、魚料理、そしてドルチェ(デザート)があります。
なんとなくですが、アンティパストとプリモピアット、アンティパストとセコンドピアットまたはプリモピアットとセコンドピアットというように、最低二皿(またはセコンドピアットなら一皿だけでも大丈夫な気もしますが?)頼まないといけないような気がします。別にプリモピアット一皿だけでもいいんだと思いますが、なんとなくプリモピアットだけ食べて出てくるのは気が引けます。
ちなみにスープはアンティパスト、牛のワイン煮込みはセコンドピアットでした。
そのイタリア人の男が注文を終えると、まずアンティパストが4皿出てきました。プロシュート、トスカーナサラミ(これが旨そう!)、ブルスケッタ、オイルサーディン。これだけでもかなりのボリュームで料金もたぶん25ユーロはしてると思います。僕は「あぁこういう頼み方もあるんだな。前菜を数種類つまんでワインを飲んで帰るんだな。」と思っていると、続いてパスタが運ばれてきました。これもなかなかのボリュームです。「それはそうか、アンティパスティだけなわけがないな。」と思っていると、彼はパスタもぺロっと食べ上げ、続いてなんと!フィオレンティーナ!が運ばれてきました。フィオレンティーナはフィレンツェ名物のTボーンステーキで骨を含めて1kgあります。お店によってまちまちですが、大体1kgで用意しているところが多いです。骨を抜いても800gはありそうです。この店では40ユーロくらいだったと思います。先に来ていた二人の客は二人でフィオレンティーナを一枚食べていました。僕も兄と二人でお腹が空いていたら挑戦したかもしれません。なんたって、我らが浜松が誇るハンバーグの名店、炭焼きレストランさわやかのげんこつハンバーグだって250gしかないんです。
でも、その男は運ばれてきたフィオレンティーナを一人でもくもくと食べ始めました。アンティパスティ4皿食べて、パスタを1皿食べた後に、1kgのステーキをもくもくと食べ始めるのです。
途中、何度かペースが落ちて、少し苦しそうにしていましたが、それでも順調にたいらげ、最後は骨に付いた肉をしゃぶっていました。
やっぱり西洋の奴らは食べる量が違います。体がでかいのも納得です。

食後にリモンチェッロを注文すると、リモンチェッロと一緒に、ウエイターのおじさんが「ビスコッティ」と言ってお酒とビスケットを「これは無料だから」と言って置いていきました。周りを見てみると、ビスケットをそのお酒に浸しながら食べているので、僕も見真似をして同じように食べてみました。調子にのってリモンチェッロなんか、頼まなければよかった。結局、アルコールを摂りすぎてしまいました。

いざ会計をお願いすると、ウエイターのおじさんと一緒に会計係の別のおじさんがやってきて、ウエイターのおじさんが会計係のおじさんに僕が食べたものを告げると、会計係のおじさんが勘定書を書いて、僕に渡すのですが、明らかにリモンチェッロとワインが入っていないので、「リモンチェッロは?ワインは?」と聞くと、片目をウインクして「ワインはもともとフリー、リモンチェッロは日本人だから無料にしとくよ。」と言ってサービスしてくれました。

ご馳走様でした。

フィオレンティーナの写真が無いのが残念です。
かなり旨そうなステーキだったので、次来るときには必ず食べたいと思います。

2010年2月25日木曜日

ここに来て…

風邪を引いてしまいました。
もうだめです。
体調が悪いだけで、すべてにおいてネガティブになってしまいます。
道行くイタリア人は全員、僕のことをF×c×ing Japだと蔑んでいるような気がします。
飛行機は飛ばず、バスは渋滞にはまり、地下鉄はストライキで止まってしまって、僕はどこにもたどり着けず、レストランに入れば昼食に300ユーロ請求され、かけこんだ警察は実は偽者でパスポートを盗られてしまう。そんな悪いイメージばかりが目つきの悪い密使によって次々に僕のところへ運ばれてきます。悪いイメージ連想大会を誰かが開いたらウソップが優勝で僕が準優勝です。

とりあえずは医者に貰った薬を飲んで、少し安静にしようと思います。
ブログの更新は少しずつ遅れています。

ご心配おかけしますが、ただの風邪です。
ペルージャで朝早くから夜遅くまでイタリア人ペースではしゃぎまくった疲れがここに来て風邪に変わってしまったみたいです。
旅行中、体調管理の重要さを痛感しました。

2010年2月24日水曜日

Day26 あまりにもせっかちなので…


イタリアには世界に誇る食文化があって、町には輝かんばかりのイタリアンブランドの名店が軒を並べ、多くの大聖堂や遺跡が世界遺産に登録され、ローマ帝国時代から続く歴史があって、高級スポーツカーが町を走り、カトリック教会の総本山バチカンもあります。

そんな素晴らしい国イタリアは当然のように日本でも人気の観光国となります。

今日はフィレンツェにいるのですが、アムステルダムやブリュッセル、パリ、ペルージャと比べてフィレンツェにはかなりの日本人観光客が来ています。
兄がネットで調べた文房具屋に入った時には、狭い店内に僕らを含めた8人くらいの日本人しかいませんでした。町のどこを歩いても、日本人用のメニューや日本の雑誌に紹介された時の切り抜き記事が掲示されていたりします。今日は兄がネットで調べたトラットリア、文房具店、ジェラッテリアに行ったのですが、そのすべてに日本語メニューや日本語ので書かれた案内や日本語の切り抜き記事がありました。

こういうのって、なんだか粋じゃないように感じます。

でも彼らも僕達日本人観光客のためを思って(あるいは僕達日本人観光客が持っているお金を思って)、こうして日本語の案内を作ってくれたり、日本語のメニューを用意してくれているのだから、これは彼らなりのホスピタリティーとして、ありがたく受け止めなければいけません。

僕は学生時代に、観光地と記号消費の関係性について勉強していたので、こういう利便性を追求したかに見えるサービスが実は観光地にとって致命的な失敗になりうることを知っています。
僕達日本人観光客は、フィレンツェのあちこちに掲げられた、日本語の案内に実はがっかりしてしまうのです。そしてメディチ家の壮大な歴史と富によって輝いていたフィレンツェの光も陳腐な観る価値の無い鈍い光に変わってしまうのです。

でも、僕が言いたいのはそんなことではありません。
イタリア人に言いたいのは、「なぜトイレには便座を付けないのか?」ということです。
あるいは、日本の旅行会社やガイドブックはなぜイタリアのトイレに便座がないということをなぜ教えてくれないのか?

どうやら理由は諸説あるらしく、
①イタリア人は他人と同じ便座に座るのは汚いと感じている。
②便座は別売りで、取り付けるにはコストがかかる。また盗難も多い。
③イタリア人はトイレに行く回数が少ないらしく、外のトイレのことなどは気にかけない。

でも僕個人的には、

イタリア人はせっかちなので、便座を取り付けるのを忘れてしまった。


のではないかと思っています。

イタリア人よ。日本語の案内を書く前に、トイレに便座を付けてくれ!!!

ちなみに、便座が無い場合には、
①トイレットペーパーを丸めて、便器をきれいに拭き、さらにトイレットペーパーを便器の上に敷いて、便座代わりにして用をたす。②空気椅子の要領で中腰になって用をたす。
③便器の上に足を乗せ、和式便所の要領で用をたす。
のどれかの方法で用をたさなければならないのですが、個人的には①以外は便器に落ちるリスクがあるので、オススメできません。

汚い話で失礼しました。

2010年2月23日火曜日

Day25 I FREGHI DI ELLERA (エッレラの人々)

ローマを出発した列車は時間通りにペルージャに到着せず、結局45分遅れての到着でした。
これがイタリアのクウォリティーです。


さて、24日目はペルージャの町に新しく出来たミニメトロに乗って、ペルージャ市街に行き、ウンブリア州立博物館やペルージャのドゥオーモを見学しました。昼食を食べて、一旦ルカの家に戻って一休みして、18時過ぎから再び外出しました。まずは近くのバーでアペリティーボです。イタリアでは食前に一杯ひっかける習慣があります。ただ、この日はアペリティーボに3時間!!かかりました。2時間くらいかけて徐々に友人達が集まり始め、久しぶりだね!と言い合い、全員が集まってからさらに1時間飲み続け、その後でみんなでレストランに移動しました。イタリアでは?多少の飲酒運転は問題ないようです。21時半からディナーが始まり、食事を終えた頃には24時を回っていました。さらにここから食後のリモンチェッロ(レモンのお酒)タイムが始まりました。久しぶりにみんなに会えた嬉しさもあって、調子に乗ってリモンチェッロ(30度くらい?)を立て続けに3杯、一気飲みしたところで、倒れました。よく覚えているような覚えていないような感じで、ルカと兄に連れられ、家に帰りました。

今日は11時から日本VSイタリアでサッカーの試合をやりました。
遊びでみんなディフェンスが適当だったせいもあって、かなり得点を決めてやりました。ダブルハットトリックはしたと思います。
イタリアのやつらは体がでかいので、ぶつかると確実に潰されます。一度、マーシモという熊みたいな奴とマッチアップになり、ぶつからないようにしてボールを奪ったら、次の瞬間、思いっきり吹っ飛ばされてボールを奪い返されてしまいました。
でも奴らは大きい代わりにスピードと足元のボールコントロールがあまり上手くないので、日本でやるフットサルよりも比較的簡単に抜いて点を決められます。

サッカーの後、みんなで昼食を食べに行って、午後からルカの運転でプラダのアウトレットに行きました。
5年前くらいに買ったmiumiuの財布がかなりぼろくなっていたので、買い替え時だと思い、プラダの財布を買いました。120ユーロでしたので、かなりお買い得でした。これは特別会計からの支出です。あとはルカの姉のベアトリーチェのお腹にいる赤ちゃんのガブリエッリ用に靴を買って、プレゼントしてあげました。これは本会計からの支出です。彼らは嬉しいことに僕のことを日本の叔父さんだと呼んでくれました。プレゼントした子供靴は2才から3才児用なので、そのころになったら靴を履いて日本に来ると言っていました。


夜は夜で再びみんなで集まり、ルカの家でピッツァパーティで盛り上がりました。
実は今までルカの家はペルージャにあると思っていたのですが、正しくはコルチャーノ市のエッレラという町にあるそうです。ペルージャの市街までは車で20分、コルチャーノの市街までは車で15分の位置です。彼らは幼い頃の友達のグループでいまだに集まっていて、この日は15人くらい集まったのですが、そのうちの5人がルカの幼稚園からの友達で、その5人を中心に高校の友達や大学の友達がそこに加わり、さらに彼らのガールフレンドたちもそのグループに加わって、多いときは25人くらい集まります。イタリアの友人関係は日本の友人関係とはかなり違うようです。
ロンドンでルカと友達になれたことで、エッレラに20人近く友人が出来たので、ルカとの出会いは本当に幸運なことでした。

彼らのWebsite:I FREGHI DI ELLERA
ペルージャでの写真:ウェブアルバム Perugia2010 

今日はなんだか体調が非常に悪く、うまく文章が書けないので、この日記はまたどこかで書き直ししたいと思います。

2010年2月21日日曜日

Day23 パリからペルージャへ

2005年の冬にロンドンに6週間の短期留学をしたことがあります。
ほとんど遊び感覚だったので、このとき英語が上達したかどうかはかなり怪しかったのですが、いまだに交友のある大切な友人に出会いました。


彼の名はルカ・チェーチリ, Luca Ceciliと言います。
ペルージャに住んでいる弁護士志望の学生で、僕より3つ年上でした。イタリア人を絵に描いたような陽気な男で、すぐに打ち解けて仲良くなりました。一度は学校をサボって二人でロンドンの街中に遊びに行ったこともありました。
2005年の夏と2006年の夏に彼のペルージャの実家に遊びに行き、1ヶ月弱ずつくらい居候をさせてもらっていました。ルカの友達もみんないい奴ばかりで、日本の友人と同じくらいイタリアにも友人ができました。ルカとルカの家族にはとんでもなくお世話になってしまいました。夏だったので、皆でバーベキューをしたり、サッカーの試合に出させてもらったり、あれは本当に輝いていた夏でした。

今はローマからペルージャに向かう列車の中でこの日記を書いています。
12時過ぎにパリのオルリー空港に行き、easyJetに乗って、ローマのチャンピーノ空港に15時過ぎに到着しました。イタリアには慣れてるからと高をくくって、ガイドブックを持ってこなかったので、何一つ情報がなく、チャンピーノからローマテルミニ駅行きの列車がないことを知りませんでした。テルミニ駅まではバスに乗って45分かかるそうですが、ローマ市内が酷い渋滞だったので、1時間以上かかりました。
テルミニ駅に着くとすぐに券売機に向かい、ペルージャ行きの列車の時間をチェックすると17:30発の早い列車があり、これに乗ると2時間でペルージャに着きます。時計を見ると17:29。この列車は諦めました。17:45発の遅い列車があって、これに乗るとペルージャに着くのは3時間後です。遠い。ルカに電話して、20:40にペルージャの駅に着くからと伝えて、列車のホームに向かいました。が、列車のホームがわかりません。出発まであと10分です。その辺にいた駅員に場所を聞くと、ホームの隅を進むとかなり奥の方にもう一つホームがあると言います。歩いて5分くらいかかるから急げと言われました。チケットをスタンプ機に通して、そのホームに着いたのが、出発の3分前でした。列車に乗り込み、適当な席に座ると列車が出発しました。イタリアの列車が定刻通りに出発するなんて思ってもなかったので、びっくりしました。パニーノを買ってから列車に乗りたかったのですが、そんな時間はありませんでした。携帯を見ると、ルカからの着信があって、なんだろうと思って掛けなおすと、「列車のホームが遠くてわかりにくいんだけど大丈夫?」と言います。ルカの友人で列車の運転手をしているマーシモが心配してくれたそうです。やはりイタリア人はいい奴ばかりです。

電車の中でたまっていた日記をいくつか書いていると、何度も列車が止まります。3回目に止まったときに、定刻通りに到着しないんじゃないかと思って、ルカに電話し「列車が止まっちゃったよ。これで3回目。遅れるかもしれないんだけど、ネットでそういう情報わからない?」と聞くと、「ネットではわからない。で、何分くらい止まってるんだ?」と聞くので、「最初が10分くらいで次も同じくらい、でも今回は20分はたってるかな。」というと「イタリアでは普通だから心配ないよ。」と言われました。イタリアでは普通だそうです。でもあと20分で本当にペルージャに着くんでしょうか?イタリアでは普通というのは、「列車が止まるのは普通だよ。時間通りに着くから気にしないで。」という意味なのか、「列車が止まるのは普通だよ。時間通りに着かないのも普通だから気にしないで。」という意味なのでしょうか?

あと20分でペルージャに着いたかどうかは、次の日記の最初に書きます。

あ、また止まりました。

2010年2月20日土曜日

Day22 今度はちゃんと予約してくるのよ、坊や。


なぜか朝から体調が優れず、8時に起きて、僕と兄の分の朝食を作って食べ終えた直後、深夜に襲ってくる耐え難い空腹に似た耐え難い絶対的な眠気に襲われ、そこから2時間ほど眠ってしまいました。11時過ぎにようやくベッドから抜け出し、歯を磨いたり、顔を洗ったり、身支度を整え、12時少し前にアパルトマンを出発しました。

旅行の22日目にして、疲れがたまっていたのか、朝の体調の悪さは、原因不明でした。
こういうものは気を付けようにも気を付けどころがわからないので、出たとこ勝負でやってきたときに即座に対応するしかありません。今日は朝食の後だったので、かなりラッキーなケースだったと思います。とりあえず近所のスーパーに行って、レッドブルを2缶買いました。

(またしても)パリの情報サイト、カイエ・ド・パリで調べた、クレープリーに出かけ、昼食にガレットとシードルをとることにしました。モンパルナスの近くにあるクレープリーだったので、歩いて行きました。僕は定番のハムと卵とチーズと玉ねぎのガレットを注文し、兄はトゥールーズソーセージのガレットを注文しました。玉ねぎがかなり濃い飴色に炒めあげられていて、美味しかったです。お店の名前はクレープリー・デュ・ヴュー・ジュルナル, Creperie du Vieux Journalと言います。

一度、アパルトマンに戻って、午後の予定を立て直し、夕食に行くビストロの候補を2つピックアップして、オルセー美術館に行くことにしました。まったくパリにはカフェとビストロと美術館しかないんじゃないかって気になります。

オルセー美術館はもともと印象派美術館だったので、印象派の画家達(モネ、マネ、ルノワール、ピサロなどなど)の作品が多く展示されています。印象派好きにはたまらない美術館なのですが、不幸にも僕はあまり印象派絵画が好きではないので、スルーです。一番古いのがバルビゾン派で、印象派、そしてゴッホ、ゴーギャン、セザンヌを経て、象徴主義の画家あたりまでが展示されています。他にもロダンの彫刻やアールヌーヴォー家具などが展示されています。インテリア好きにたまらないのがアールヌーヴォーのコーナーです。詳細を一つずつ取り上げていくとまたしても長くなってしまうので、オススメを一つだけ書いてこの美術館についてはお終いにします。僕の一番のオススメはギュスターヴ・クールベの「画家のアトリエ」です。大きなキャンバスの右側にクールベの画家仲間や自由恋愛を象徴する男女など、理想の生活を送る人々が描かれ、画面の左側には金持ちや貧乏人、お金や社会に縛られる人々が悲惨な姿で描かれています。真ん中に絵を描いているクールベ自身が描かれていて、画家がこの二つの相反する世界を繋ぐ役割を演出しているそうです。かなり挑戦的で示唆的な作品です。大きな作品なので、見ごたえもあります。

オルセー美術館を出ると夕方の6時過ぎになっていて、たそがれ時でした。遠くの空が橙と紫色に染まり、上空の厚い雲が黒い陰になってパリの街に襲いかかろうとしているところでした。セーヌ川沿いを散歩し、僕のより少しだけ高性能な兄のカメラでパリの街を撮影しました。兄のカメラはソニーで、僕のパソコンはSDカードしか読み込めないので、どこかでコネクタを買って、撮った写真をアップしたいと思います。

セーヌ川をエッフェル塔方面に歩き、探しておいたビストロへ向かいます。

一軒目はシェ・ラミ・ジャン, Chez L'Ami Jeanというお店で(またしてもカイエ・ド・パリで探したのですが)こう紹介されています。

”今パリで一、二を争うビストロと聞いて、7区にあるシェ・ラミ・ジャンに行ってきました。 ~中略~ バスク料理がスペシャリテだというので素朴な地方料理を想像してメニューを開いたら、洗練された内容のようでびっくり。しかも3品とも6種類以上の選択肢があり、あれもこれも食べたいと迷ってしまうほどです。でもそれで驚くのはまだ早かった・・・時としてメニューの文章からは想像がつかない姿でやってくるその料理は、創造性と意外性でいっぱい。見た目の美しさも完璧です。庶民的とも言える価格で、こんなレベルの高い料理を提供するシェフには頭が下がります。 ~再び中略~ 今回注文した料理 前菜1:ブイヨンでゆでたラビオリ、仔牛肉の煮込み 前菜2:かぼちゃのラザニア、オマール海老添え メイン1:豚の胸肉、頬肉、耳とレンズ豆の煮込み メイン2:ヒメジのグリル、クロックマダム風、クスクスサラダ添え(付け合せのマッシュドポテトがまた美味!) デザート1:レモンのクリーム、ピスタチオのジュレ デザート2:チョコレートとバニラのマーブル”

パリで1、2を争うビストロ!!!だそうです。ここは行っておくしかありません。
エッフェル塔から5分くらい歩いた裏路地(カイエ・ド・パリの取材力には驚かされます。ほとんどのお店が一本は入った裏路地にあるのです。そして例外なく旨い!)にあって、外はすりガラスで中の様子が見えないようになっています。メニューをチェックして、勇気を出していざ店内へ。外観に比べ、内装はアットホームな感じです。席に着けないかと思って、店員さんを探すと飛び切り綺麗なフランス人マドモアゼルがやってきて、「ブゥ…なんとか…リザヴェ?」と聞いてきます。リザヴェ?きっと予約のことだと思って、「ノン」と言うと、彼女は少し目線を上に上げて、真冬の月ような無表情な笑いを浮かべ、さっと後ろを振り向いてお店の名刺を2枚取り、僕に渡しながらフランス語で何か言いました。フランス語はわからないのですが「今日は満席よ。今度はちゃんと予約してから来るのよ、坊や」と言われたことはわかりました。あしらわれるように、食事を断られたのですが、彼女があまりに美しかったことと、ジェームス・ボンドの傍らにでもいそうな洗練された仕草のせいで、嫌な気なんてこれっぽっちも起こらなかったどころか、なんだかすごく貴重な体験が出来たような気分にすらなってしまいました。自分で自分が気持ち悪いです。

結局二軒目のお店にはすんなり入れました。オー・ボン・アキュイユ, Au Bon Accueilというビストロです。かなりシックなお店でした。ビストロ?レストランじゃないのかという印象です。
お店のドアを開けて、立っていた中東系のウエイターに「ヌ パール パ フランセ メ(フランス語話せないんですが)」と言うと、日本語で「大丈夫ですよ。どうぞ」と迎えいられました。かなり流暢な日本語で、尊敬語や謙譲語も使いこなすところには脱帽の思いでした。メニューを一通り説明してもらって、僕は前菜に栗とセロリのポタージュ、兄はサーモンのタルタルを、メインに僕はタラのポワレ、兄は子牛のステーキ、赤ワインソース、デザートに僕はクレープのフランベ、兄はミルフィーユを注文しました。僕の食べたタラのポワレと兄の食べたサーモンのタルタルがかなり美味しかったです。特にサーモンのタルタルには青海苔が使われていて、卵で作ったムースの味と青海苔の風味が最高にマッチしていました。どうも少し前から日本料理ブームで日本食材を使うところが多くなってるそうです。このビストロは味ももちろん美味しいのですが、料理の出し方がまたお洒落です。最初に出てきたスープは、まずクルトンとパンチェッタとハーブだけが載ったスープ皿が出てきて、ウエイターがボナペティ(召し上がれ)と言った後に、別のウエイターが大きな鍋を抱えて、スープを注ぎに来てくれたり(危うく、クルトンとパンチェッタを先に食べてしまうところでした)、デザートのクレープも先に何の変哲もないクレープが運ばれてきて、後からウエイターが火のついたブランデーかカルヴァドスのようなお酒をひしゃくのような銅のレードルに入れて持ってきて、火がついたままのお酒をクレープにかけてくれました。
アペリティフにキールを、食事をしながらシャブリを飲んで、デザートと一緒にコーヒーまで注文して、一人44ユーロでしたので、料理内容を考えるとかなりリーズナブルだったと思います。

今日はパリ最後の夜だったのですが、最後の夜にふさわしい食事でした。
これで今度から「パリの美味しいレストランを知ってるから、旅行に行こうよ」と好きな女の子を誘うことができます。

もう少し大人になって、顔が渋くなったら、一軒目のシェ・ラミ・ジャンに行こうと思います。今度はちゃんとリザヴェってから行かないといけません。